「蒙古襲来絵詞模本」に描かれた元寇船
長崎県松浦市・鷹島沖の伊万里湾で、鎌倉時代の元寇(弘安の役、1281年)の際に沈んだとみられる元の軍船が発見された。
発掘を続けていた琉球大の池田栄史教授(考古学)が、20日明らかにした。鷹島周辺ではこれまで元軍の船材の一部やいかり石、砲弾などが出土しているが、原形をとどめた船体がまとまって見つかったのは初めて。
船体は鷹島の南、水深20〜25メートルの海底を約1メートル掘り下げた層で昨年発見され、今年9月30日から本格的な調査を行っていた。船底の背骨にあたるキール(竜骨、幅50センチ、長さ15メートル)と、その両舷側から、幅15〜25センチ、厚さ10センチ、長さ1〜10メートルの船底・船腹の板材が多数見つかった。キールの両側には白灰色の塗料が塗られていた。
中央にキールが通っている船底構造のほか、船材上に中国陶磁器の破片や中国特有のレンガである磚(せん)があったことから、元の軍船と判断された。キール先端にはさらに部材をつなぐ加工があり、全長は少なくとも20メートルに達するとみられる。
鎌倉時代、中国・元のフビライは日本に服属を迫るため、2度にわたり朝鮮半島の高麗との連合軍で来襲した。文永の役(1274年)に続く弘安の役では、約4400隻からなる大船団で、14万人の将兵が攻めよせ、一部が博多などで戦闘を繰り広げた。その後、船団が鷹島周辺に集結した際に「神風」と呼ばれた暴風雨で、大半が壊滅したとされる。
日本列島では縄文、弥生時代の丸木舟が出土した例はあるが、木材を組み合わせた中世以前の構造船が原形をとどめて出土したのは初めて。構造船としては最古の発見例となる。(2011年10月20日 読売新聞)
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