学習院大学はまだ本選での出場を果たしていませんが、予選上位チームの代表で構成される「関東学連」チームというのが特別にあり、川内氏はその一人として箱根駅伝を走ることができたのです。
箱根駅伝は、関東学連(関東学生陸上競技連盟)が主催する地方大会ですが、1987年から日本テレビ系列で全国放送がはじまってから、イッ気に注目され、今では正月の風物詩になりました。私の母校も活躍しているのでこの時期はテレビに釘付けですよ。
1920年に第1回大会が開催された箱根駅伝。大会の創設に尽力した金栗四三(かなぐり・しぞう、1891年〜1983年)は、箱根駅伝がここまで大きくなったことを天国で喜んでいるでしょうか。
それとも草葉の陰で泣いているでしょうか。
――ちょっと待て!! 喜ぶならわかるが、なぜ「泣く」理由がある?
と思う人もいるでしょう。しかし、箱根駅伝には無視できない大きな問題があるんです。
金栗はオリンピックで活躍できる選手を育成するために箱根駅伝を発案しました。
しかし、箱根駅伝の出身でオリンピックでメダルを獲得した男子ランナーっています?
これがね・・・いないんですよ。
約1世紀近い箱根駅伝の歴史の中でメダルを獲得した出身ランナーは、1936年ベルリンオリンピック銅メダルの南昇竜(なん・しょうりゅう、1912〜2001年、明治大学出身)だけです。
箱根駅伝出身ランナー以外を入れたとしても、1992年バルセロナオリンピック銅メダルの森下広一氏が最後。
毎年、箱根駅伝に出てくる「10年に一人の天才」「山の神」「2区のエース」「弾丸ランナー」といった選手たちはどうしちゃったのでしょうか。
多くは実業団に入団するものの、その後は故障やらで伸び悩み不本意な結果しか残せていないようです。
どうして日本の男子マラソンはこんな状況なのか。女子はコンスタントにメダリストが誕生しているのに・・・。以下は私の個人的な分析です。
●箱根駅伝を選手生活のピークに定めてしまっている
箱根駅伝は関東における地方大会に過ぎません。ですから、全国大会の出雲駅伝と全日本大学駅伝の方が本来であれば格上です。しかし・・・
・人気(正月は国民がテレビに釘付け)
・メディア露出(読売グループ:日本テレビ系列、読売新聞、スポーツ報知が総力報道)
・スポンサー料(サッポロビールほか多数)
いずれも比較にならないほど、箱根駅伝が優勢です。
ここで優勝した大学は偏差値も志願者数も急増するといいます。この少子化時代にこんなに嬉しいことはありません。
選手も一躍国民的ヒーローになります。沿道の歓声、報道陣のフラッシュなど、どんなに気持ちのいいことでしょう。
ところが、卒業後に晴れてプロといえる実業団に入団してみれば、扱いは超地味。本格的なプロスポーツである野球、サッカー、テニス、ゴルフ、相撲とは比較にならないほど、注目されません。
世界の強豪に勝ち、オリンピックで活躍するためには、まだまだ厳しい練習メニューをこなさなければなりませんが、残念ながらモチベーションが上がりません。
「大学時代のあの栄光は何だったのか?」と思う選手も多いと思います。
・練習がキツイ割には注目されるわけではない
・年齢が上がれば故障も多くなる
・給料が特別いいわけではない
・むしろ不況のあおりで実業団を休部させる企業が増えている
陸上エリートにとっては、すべてが逆風です。
つまり、「燃え尽き症候群」に陥る可能性がハンパない環境にあるといえます。
こうした先輩たちを見ているだけに、箱根駅伝を選手生活のピークに定めている陸上エリートは多いと思います。
なかには普通に就職し、「昔、箱根駅伝で走りましてね」と合コンで披露しモテ狙い、という選手もいるかもしれません。
●個人的な箱根駅伝の思い出
私のようなペーペー陸上部員から見れば、陸上エリートは雲の上の存在でした。私が高校の頃の箱根駅伝のスターは渡辺康幸氏(早稲田大学、現同大学駅伝監督)でした。渡辺氏がケニアの留学生ステファン・マヤカ(山梨学院大学、現創造学園大学陸上競技部監督)に劣らない脚力で競りあったシーンは強烈でした。
「あぁ彼なら将来、世界を驚かすほどのマラソンランナーになってくれる」と思ったものです。
しかし、実業団(ヱスビー食品)入団後の渡辺氏は故障が続き、パッとしませんでした。そして、今は母校の駅伝監督。しかも現役の頃と比べるとメタボ気味・・・。
彼も将来の夢は、まさか「母校の監督」だったわけではあるまいに。本当はオリンピックで金メダルを取るとかさ・・・。残念の極みです。箱根駅伝の元スター選手の多くはこうした例がほとんどです。
●オリンピックで活躍するのは、非陸上エリートが多くなる
以上のことから、「燃え尽き症候群」と無縁の選手こそがオリンピックで活躍するところまで行けるといえます。そして、その選手は結果的に非陸上エリートが多くなる傾向があります。
非陸上エリートとは何か。
@女子全般
そもそも女子長距離には、箱根駅伝のように注目される大会がありません。よって「栄光と現実」の落差が激しくない分、「燃え尽き症候群」に陥りにくいといえます。
A実業団入団まで無名、箱根駅伝とは無縁だったランナー
1992年バルセロナオリンピック銅メダルの森下広一氏は高校卒業後に実業団(旭化成)に入団したため、箱根駅伝と無縁でした。また、
・1992年バルセロナオリンピック銀メダル・1996年アトランタオリンピック銅メダルの有森裕子氏(リクルート)
・2000年シドニーオリンピック金メダルの高橋尚子氏(積水化学)
・2004年アテネオリンピック金メダルの野口みずき氏(グローバリー) ※実業団名はいずれも当時の所属
これらの女子メダリストたちはいずれも実業団入団前は無名でした。こうした選手たちは厳しい練習に挑戦するためのハングリー精神を持ち続けており、結果的に陸上エリートと呼ばれた選手たちを追い抜いてしまいます。
B市民ランナー
そして、最後が「市民ランナー」です。川内優輝氏が登場するまでは、まさか市民ランナーが世界大会に出場する時代が来ようとは誰も思っていなかったはずです。
川内氏がアマチュアにしては速すぎるといえますが、プロの実業団のモチベーションがいよいよヤバイところまで来ているのかもしれません。
●問われる長距離界の問題、でも誰も問わない現状
「プロがアマに練習試合でなく本大会で負ける」。これはサッカーに例えれば、JFL以下のアマチームが天皇杯でベスト8に残るぐらいのあり得ないことです。仮にサッカーでそんなことが起これば、アマに敗北したプロチームのフロントは責任を問われるほどの事態に発展すると思います。
しかし今回、市民ランナー川内氏に世界陸上の出場権を持っていかれた実業団側は何か責任を問われたでしょうか。おそらく、これまでと何も変わることはなかったと思います。
なぜなら、そこまで熱心に長距離界を批判する人(サッカーでいえば熱狂的なサポーターや辛らつなメディアなど)がいないからです。長距離界はそのことに助けられ、かつ現状に安堵しているといえます。
以上見てきたように、箱根駅伝はオリンピックに勝てる選手の育成にはなんら貢献できていないことがあらためてハッキリしました。
もしも、選手の強化を本気で考えるなら、関東以外の大学にも門戸開放して全国的な大会に格上げし、競争を活発化させる方法があります。しかし全国大会になれば、主催は「日本学連」に移管します。巨大利権となった箱根駅伝を関東学連が手放すはずありません。箱根駅伝が学生集めのキラーコンテンツになっている以上、その傾向はますます強くなっています。
メディアも読売グループに楯突いてまで、箱根駅伝の問題を取り上げるところはありません。だから、今後も現状維持でしょう。ただ、最近では『サイゾー』2011年1月号が、箱根駅伝の利権構造をさまざまな角度から分析しています。
●市民ランナーが箱根勢を凌駕したらどうなるか
川内氏は正直いって「変人」といえます。ここでいう「変人」とは、世間一般のルールを超越してしまう人のことを指し、決して「変態」ではありません。今後ああいう選手が増える可能性はあります。なぜなら・・・
・仕事をしながら練習を続けている陸上経験者は多い
・ランニングブームで、市民ランナーは激増している
・高いモチベーションを維持している
・実業団の選手と異なり、失うものがないので冒険できる
また私の経験上、陸上やっている人は「変人」が多いと思います。その理由は、個人競技のため自己が極端に確立されていくからかもしれません。加えて、肉体を酷使する競技スタイルはマゾヒズム的要素が強く、忍耐を快感に変える術を知っているともいえます。
もしも今後、市民ランナーが箱根駅伝出身の陸上エリートを抑えて、出場する流れが続いたらどうなるか、さすがに陸上関係者も「このままではいけない」と思うのではないでしょうか。
歴史的に見ても、革命はいつも非エリート層から起こります。陸上の「GIANT KILLING」(下克上、番狂わせ)もあるかもしれませんよ。
★関連記事
・日本史 年代別記事一覧
ラベル:スポーツ