おかげで外来語を日本語に取り入れるときには、想像以上の苦労があります。英語からフランス語に訳すときは発音が変わる程度の単語であっても、英語から日本語にする場合はそうはいきません。
近年では、日本でも英語の知識が増えたこともあり、カタカナを使ってそのまま表記する例が多くなっています。しかし、当然弊害があります。
●カタカナ表記の弊害1 単語が増殖してしまう

@モビル、Aモバイル、Bモビール、これらの語はいずれもMobile(可動性・移動性の)という英単語を日本語化したものです。
ところが訳し方の微妙な差により、単語が増殖してしまう弊害があります。英語の知識がなければ、元が同じ英単語であることは想像しにくいと思います。
●カタカナ表記の弊害2 意味があいまいなまま単語が独り歩きしてしまう
これはとくにIT用語に多いです。たとえば、ユビキタス、セキュア、ソリューション、クラウド、プロバイダ・・・
カタカナ表記は、新語をいち早く日本語化できるメリットがあります。しかし、元の意味があいまいなまま言葉が独り歩きするデメリットもあります。ちなみに、ユビキタスはラテン語で「神はあまねく存在する」という意味で、転じて「いつでも、どこでも、だれでも(使えるネットワーク社会)」という意味ですが、意味など無関係に利用されていました。
意味があいまいということは、深いところまで理解されないため、結果的に普及せずに死語化する可能性が高くなります。実際「ユビキタス」という言葉は、最近あまり見かけなくなり死語になりつつあります。結局その寿命はわずか5〜6年でした。なんか言葉がかわいそうです。
●古代から外来語と格闘してきた日本人
ただ、外来語との格闘は、日本語の宿命といえます。英語が流入する遥か前の時代から、こうした格闘を繰り返してきました。
古代における主たる外来語は、中国から渡って来る漢語でした。祖先たちは漢字をくずして平仮名や片仮名を作ったり、漢文の読み下し法を編み出したりして、外来語を日本語に取り入れる工夫をしてきました。
とくに仏教経典の翻訳は想像を絶する苦労があったと思います。仏教経典の原典はインドの梵語(サンスクリット語)で書かれていました。それを中国の僧たちが発音が近い漢字を当てて翻訳しました。さらに日本の僧たちは、漢訳化された仏典を日本語に訳して学んだわけです。つまり、翻訳の翻訳。すると、以下のような苦労が出てきました。
●翻訳すること、覚えることが倍増する

例えば、お釈迦様の入滅のことをサンスクリット語では「ニルヴァーナ」といいます。これに中国の僧は発音が近い漢字を当てて「涅槃」と漢訳しました。当時はどんな発音だったかわかりませんが、現代北京語の発音では「ニェパン」と発音します。
本来、「涅槃」という漢字そのものにはあまり意味がなかったと思います。単純に発音が近かったから採用されただけかもしれません。ただ、中国の僧にとって漢字は母国語ですから、どの漢字が外来語かを判別することはそれほど難しくなかったと思います。
大変なのは日本の僧です。仏典はすべて漢字で書かれています。どれがサンスクリット語起源の語なのか、どれが中国語起源なのか見ただけではわかりません。しょうがないから、漢字ひとつひとつの意味を調べて判読していったものと思われます。その翻訳は気の遠くなるような作業だったと思います。これはもう学問というよりまさに「格闘」といえるのではないでしょうか。
時代はずっと下って、江戸時代の1774(安永3)年、杉田玄白はオランダ語の『ターヘル・アナトミア』を翻訳して『解体新書』を著しました。オランダ語の知識も辞書もない状態で、暗号解読に近い手法で翻訳という偉業を成し遂げたのです。その困難な状況について彼は「櫂や舵の無い船で大海に乗り出したよう」「1年経ってもほとんど翻訳が進まず」と回顧録『蘭学事始』で語っています。
人間は「先進的な知識を知りたい」という欲求がMAXになったとき、例えそれが外国語でも何とかしようとする強さが生まれるようです。日本は地理的にも孤立し、言語も孤立していたため、外国語と格闘して知識を得ていかなければならない宿命にありました。私たちが何気なく使っている日本語はそうした格闘によって磨かれてきた言語なのです。
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