●コロンブスの登場
スペイン黄金時代のキッカケは言うまでもなく、クリストファー・コロンブスによる新大陸(アメリカ大陸)航路の発見でした。
ジェノヴァ出身のコロンブスは、スペインに来る前にポルトガルで売り込みをしましたが、ポルトガルはすでに喜望峰の直前にまで到達していたため、冷たくあしらわれます。失意の中、再起をかけてスペインにやって来たというわけです。
スペインは隣国ポルトガルに比べて、大航海時代への船出が遅れていたこともあり、イザベル女王はコロンブスの話を熱心に聞き、支援することを決定します。
コロンブスと新大陸を巡る逸話はそれだけで大作映画になるほどなので、そちらを見るのが手っ取り早いでしょう。色々な困難を経て、1492年ついに新大陸に到達しました。
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●コンキスタドールによる征服
以後、スペインによる新大陸への入植が盛んになります。その先兵となったのがコンキスタドール(征服者)と呼ばれる人物たちでした。
代表的な人物がエルナン・コルテスとフランシスコ・ピサロです。コルテスは、1519年から1521年にかけてアステカ帝国(今のメキシコ中央部)を征服。ピサロは1532年から1535年にかけてインカ帝国(今のペルー、ボリビア、エクアドル付近)を征服します。
キリスト教主義の彼らの目には、先住民の文化は「野蛮」としか写らず、破壊・略奪をなんの躊躇もせずに徹底的に行いました。
実は、コロンブス自身も新大陸に到達後、相当数の先住民を虐殺しています。コロンブス以後の1世紀半で、アメリカ大陸の先住民族人口は80%急減した(1492年の5000万人→1650年の800万人)といわれています。
アメリカ大陸の先住民はインディオと呼ばれ、奴隷労働によって金や銀を採掘させられます。ポトシやグアナフアトなどの銀山から流出した富は、スペインをさらなる強国にしていきます。またこの金銀は、オスマン帝国やイギリスとの戦争がキッカケとなり他国にも流出し、ヨーロッパ各国を豊かにしていきました。
●ハプスブルク家によって全盛期を迎える
その後もスペインの成長は止まりません。1496年、スペインの王女フアナ(狂女フアナとして有名)とハプスブルク家のブルゴーニュ公フィリップ(フィリップ美公)と結婚します。1500年、この2人の間にカルロス1世が生まれます。彼は母からスペインと新大陸を、父からオーストリアとネーデルランドを相続します。
1516年にスペイン王に即位し、ここからスペイン王家はハプスブルグ家になります。そして、1519年、このカルロス1世が、神聖ローマ皇帝カール5世としても即位し、ヨーロッパ中に絶大な影響力を持つようになります。
・超ざっくりハプスブルク家の歴史を紹介!(前編)
カール5世の退位後は息子であるフェリペ2世の治世になります。1580年、ポルトガル王国のエンリケ1世が死去しアヴィシュ王朝が断絶したため、スペイン王がポルトガル王も兼務することになります。このとき、ポルトガルが所有していたブラジルなどの植民地もスペインのものになります。
右図は、スペイン・ポルトガル同君連合(1580年〜1640年)時代の版図。赤がスペイン領、青がポルトガル領です。ヨーロッパが夜のときでも、植民地の新大陸では太陽が昇っている。文字通りスペインは
「太陽の沈まない帝国」となり、全盛期を迎えます。
これにてさかのぼりスペイン史は一旦終了。
スペイン史をさらに遡ると、「イスラームの支配とレコンキスタ」→ 「西ゴート王国の建国」→ 「600年間のローマ支配」がありますが、またいずれかの機会に述べたいと思います。
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