2011年07月09日

さかのぼりスペイン史1 ボルボン朝の王政復古

日本のメディアにおけるスペインの情報はごくわずかです。マドリードやバルセロナといった観光地情報、ラテン系の明るい国民性、サッカー(リーガ・エスパニョーラ)、厳しい経済状況・・・こんな感じでまとまってますよね。

また、一般的に高校の世界史は、近現代史の部分を非常に早いテンポでこなします。その中でもスペインの近現代史は重要度が高いとはいえません。ですから、スペインにて1970年代とつい最近に王政復古が起こって、今も王様がいる。なんてことはほとんどの人が知らないでしょう。もちろん、私も詳しい経緯は全然知りませんでした。
 ・世界のロイヤルファミリー


●フランス・ブルボン家の流れを汲むスペイン王家
CarlosI.jpgまず、現在のスペイン王は誰でしょうか? フアン・カルロス1世
この方です。1938年生まれ、今年で73歳になります。

王家はボルボン家あのフランス・ブルボン家の流れを汲む王家です

スペイン王家は16世紀からハプスブルク家によって統治されていましたが、1700年に断絶。王位継承を巡って、ヨーロッパの強国同士で戦争が起こりましたが、血縁関係のあったフランス・ブルボン家が王家を担うことになりました。
 ・さかのぼりスペイン史4 斜陽の帝国


●無血革命によって王族はイタリアへ亡命
それでは、スペインの近現代史とともにフアン・カルロス1世の生い立ちも見て行きましょう。スペインの近現代史はあきれるぐらいの混乱に継ぐ混乱でした。短期間ながら他の王家が王位を継いだり、第一共和制(1873年〜1874年)が実現したりしましたが、彼の祖父であるアルフォンソ13世の頃まではなんとか王制が続いていました。

しかし、本格的に王制打倒を目指す共和派が1931年の選挙で躍進し、アルフォンソ13世は退位へと追い込まれ、無血革命による第二共和政が成立しました。

退位したアルフォンソ13世は家族とともにイタリア王国のローマへ亡命。そして亡命先で、バルセロナ伯爵フアン(アルフォンソ13世の四男)の長男としてフアン・カルロスは誕生します。


●超不安定な第二共和政
共和政となったスペインですが、政治的対立が続発しまったく安定しませんでした。失業者は増える一方で、激しいデモやテロが各地で起こります。政権もコロコロ変わり、民衆は議会制民主主義に失望しファシズム政権への期待が高まる始末

現在、東日本大震災で被災した日本の政治も迷走しまくっていますね。こうした失望感がファシズムやナチズムの台頭を招くというのもなんとなくわかります。「大連立でも、独裁でもいいから原発なんとかしてくれよ」というのが、今の日本人の声ではないでしょうか

さて話を戻しますと、1936年7月「もう今の政府はダメだな」と見切りをつけた軍部がクーデターを起こします。その中心人物がフランシスコ・フランコ将軍でした。
反乱はスペイン全土に及びます。これが1939年4月1日まで続いたスペイン内戦です。詳しくは、さかのぼりスペイン史2 スペイン内戦にて。


●内戦を制した独裁者フランコが描いたシナリオとは?
1939年、フランコ側の勝利によって第二共和政は終焉を迎え、フランコを国家元首(総統)とする独裁体制ができあがります。第二次世界大戦では中立を維持し、戦後も唯一のファシズム国家として存続します。

一方、フアン・カルロスが亡命していたイタリア王国は、第二次世界大戦では戦敗国となります。ムッソリーニは処刑され、国民の信頼を失った王家は、国民投票の結果を廃位が決定します。
フアン・カルロス一家は、共和制イタリアに留まることができなくなり、1948年にスペインに戻ります。それを迎えたのがフランコでした。フランコはフアン・カルロスを次代の指導者とするべく教育を受けさせます

従来のフランコ像は、スペインを苦しめた独裁者というマイナスイメージが強くありました。とくにピカソの「ゲルニカ」やヘミングウェイの「誰がために鐘は鳴る」といった作品がそれに拍車をかけました。
しかし、単なる独裁者だったら、わざわざ失脚した王家の人物を教育したりするでしょうか

やはり、近年になってフランコの再評価が始まっています。色摩力夫氏の『フランコ スペイン現代史の迷路』(中公叢書)が詳しいです。
本書によると、スペインの近現代は内紛ばかりで議会制民主主義も大失敗したことを考え、フランコは「この国は王制が最良かもしれない」と考えるようになったと述べています。王制復古に当たっては、かつて統治していたハプスブルク家を迎える案も検討していたようです。結局は、ボルボン家のフアン・カルロスを迎え王政復古することを遺言に盛り込みました。

独裁者なのに一族に国家を継承させるようなことをしなかったのは、とても意外です。彼自身は私利私欲に走らず清廉潔白。マシーンのごとく仕事を行い、事実有能な為政者でした。ただ、ドラマティックな要素がほとんどなく、面白みがまったくない人物だったと評されています

1975年11月20日、フランシスコ・フランコ死去。独裁者ではありましたが、スペイン近代化の礎を築いたことへの再評価は高まっているようです。


●即位後にスムーズな民主化移行を実現
フランコの遺言通り、11月22日にフアン・カルロス1世としてスペイン王に即位し、ボルボン朝が復活します。フランコの元で帝王学の教育を受けていたこともあり、そのまま独裁体制を取るかと思われていましたが、即位後は一転して政治の民主化を推し進め、急速に西欧型の議会制民主主義および立憲君主制国家への転換を図ります。1978年に議会が新憲法を承認し、正式に民主主義体制へ移行します。
このスムーズな民主化はスペインの奇跡と呼ばれました。

f1.jpgところでフアン・カルロス1世は、かなりのスポーツ好きです。なんとヨットの代表選手としてミュンヘンオリンピックに出場(1972年)したこともあります。このときは即位前ですから、一応は一般人だったんですね。
そういえば、麻生太郎元首相もモントリオールオリンピック(1976年)にクレー射撃の日本代表で出場していましたね。

また、F1やMotoGPなどのモータースポーツの大ファンで、スペインGPには毎年来場しています。写真はスペイン人のトップF1ドライバーフェルナンド・アロンソを祝福するフアン・カルロス1世です。

2010年南アフリカワールドカップでスペイン代表が優勝したときは、代表選手たちに「スペインおよびスペイン国民の名において、チャンピオンたちにお礼を述べる」と言葉をかけたそうです
 ・ワールドカップに見る宗主国と植民地の関係

なんだか、とても国民に寄り添うイメージの強い王様ですね。スペインが安定的に発展していくための象徴として、不可欠な存在のように感じます。


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さかのぼりスペイン史5 太陽の沈まない帝国
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posted by すぱあく at 23:53 | TrackBack(0) | スペイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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