2011年05月24日

日本におけるK-POP4 挑戦期(2000年代前半)

日本市場開拓の尖兵として韓国芸能界の期待を背負ってやってきたS.E.S.
1998年に日本デビューを果たしますが、パっとせずに撤退するはめに。

Suman.jpegこの結果にもっとも衝撃を受けたのは、S.E.S.の所属事務所SMエンターテインメントの李秀満(イ・スマン)会長でしょう。
「韓国芸能界最強のS.E.S.でダメなら、どうやったら日本市場を開拓できるのか」。きっと途方に暮れたと思います。
そして、「とにかく長期的ビジョンでやっていこう」と戦略を立て直します。

このイ・スマン会長の経歴は華やかです。ソウル大学出身で、70年代はフォークソング歌手として成功し、80年代後半から90年代前半まではテレビ司会者やラジオDJとして多くの番組を担当していました。そして、1995年にSMエンターテインメントを設立し、ティーンエイジ層の開拓に力を入れます。なかでも男性アイドルグループH.O.T.をヒットさせ、このH.O.T.は中国における韓流ブームの火付け役になりました。

さて、イ・スマン会長は、日本で活躍できる人材を育成するため、ある小学生をスカウトします。彼女には2年をかけて歌にダンスに、そして英語と日本語まで厳しくレッスンさせます。その結果、歌って踊れて日本語でトークもできるハイスペックのアーティストが誕生します。それがBoAでした。

VALENTI (CCCD) [Enhanced] / BoA, DABO (CD - 2003)さらに、吉本興業やエイベックスと共同で日本での活動拠点「SMジャパン」も設立します。このように万全の準備を整えた上で、2001年にBoAは日本デビューを果たします。SMエンターテインメントはBoAの育成と日本進出の準備のために5億円以上を投じました。まさに社運をかけたプロジェクトでした。

BoAは日本語が流暢なため歌番組にもバラエティにも出演し、知名度を急速に広めます。セールスも絶好調で、その後の活躍ぶりはご存知の通りです。悲願であった日本での成功がようやく実現します。

その後、2002年に日韓共催ワールドカップが開催。2003年から『冬のソナタ』に端を発した韓流ブームが起こり、韓国芸能界にとっては追い風が吹きます。この風に乗って、多くのK-POPミュージシャンが日本デビューを果たします。
ところが、そのほとんどが失敗します。まだまだ日本市場の壁は高かったのです。2000年代前半に日本デビューした韓国人アーティストの状況を見てみます。

神話(シンファ) 2001年日本デビュー
日本ではじめて本格的に活動した6人組の男性アイドルグループ。短命なグループが多いなか10年以上にわたって活動している珍しいグループ。現在はメンバーの兵役などがあり、ソロ活動が中心で、日本での活動も少なくなっています。

route0(ルート・ヨン) 2002年日本デビュー
route0.jpgsuyong.jpg当時12歳のチェ・スヨン(左)と高橋麻里奈(右)によるユニット。オーディション番組『ASAYAN』の企画により、河村隆一プロデュースでデビュー。シングルを3枚出しますが約1年程度の活動で終了します。しかし、スヨン少女時代のメンバーとして現在バリバリ活躍中です。



yunna.jpgユンナ 2004年日本デビュー
日本語が流暢なため、結構活躍します。「ほうき星」(アニメ「BLEACH」エンディング曲)はいい曲です。最近は韓国を中心に活動。2007年に国土交通省韓国親善大使。


イ・スヨン 2004年日本デビュー
「オリコンで1位になるまで帰国しない」という意気込みでデビューしますが、日本語が出来ないためメディア露出がほとんどなく、シングル1枚出したのみで日本から撤退します。

sugar.jpgSugar(シュガー)  2004年に日本デビュー
ホリプロと契約して日本進出。ちょくちょくバラエティに出てましたがパッとせずに2006年に解散。イ・アユミ(一番右)は日本出身で母語は日本語。現在、エイベックスからICONIQ(アイコニック)に改名して再デビュー。過去の経歴がマイナスに働くと考えたのかSugarのアユミとはまったく別人として活動中ですが、周知の事実です。

JEWELRY(ジュエリー) 2004年日本デビュー
女性グループ。日本ではビーイング系のGIZA studioに所属し、5枚のシングルを発表。主にアニメの主題歌としてタイアップしていました。やはりパッせず2005年に日本から撤退。韓国では復帰後も活躍中。

リナ・パーク 2004年日本デビュー
韓国系アメリカ人で歌唱力の高いシンガー。2002年日韓共催ワールドカップのときに、CHEMISTRY(ケミストリー)と共に「Let's get together now」をリリース。日本では2007年以降、目立った活動はしていません。

jyonhyon.jpgイ・ジョンヒョン 2004年日本デビュー
個人的には2000年の中国留学中に最もハマッていたK-POP歌手。実際、中国での人気も凄かった。ガンガンのテクノサウンドに甲高い声でシャウト。小指にマイクをつけ、大きな扇子を振り回してダンスをする様は非常にインパクトがありました。女優としても評価が高く、韓流ドラマ「美しき日々」にも出演。このドラマがNHKで放送されたことが縁で2004年の紅白歌合戦に出場を果たします。ただ、これはNHKの勇み足でした。視聴者からは「この人は誰? なぜ紅白に出ているの?」の状態でした。加えて、その後の日本での展開も失敗に終わります。NHKがこの後、K-POP歌手の紅白出場に慎重になっているのは、このイ・ジョンヒョン姉さんが原因と思われます。

天上智喜(てんじょうちき、現・天上智喜The Grace) 2006年日本デビュー
4人組の女性グループ。日本ではシングル7枚出し映画の主題歌にもなりましたが、2009年後半以降の活動はありません。

Wax(ワックス) 2006年日本デビュー
韓国では出す曲すべてがヒットするトップ歌手でしたが、日本では残念な結果に。

U;Nee(ユニ) 2006年日本デビュー 
日本でシングル1枚発表。2007年に仁川(インチョン)の自宅で首つり自殺をはかり他界してしまいます。ネットユーザーによる誹謗中傷に悩み、うつ病だったといわれています。享年25歳。

これだけの韓国アーティストがデビューしていたとは、日本人のほとんどが知りません。K-POPの先輩たちの数多くの失敗が貴重なデータとして蓄積され、KARAや少女時代の活躍につながっているといえます


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 ・2 黎明期(90年代前半)
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 ・4 挑戦期(2000年代前半)
 ・5 成長期と今後の行方
 ・6 活動中の女性アーティスト
 ・7 活動中の男性アーティスト
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posted by すぱあく at 19:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 韓国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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