今回は、「日本におけるK-POP」の黎明期を見ていきます。
時代はまだ積極的な日本進出を行う前の90年代前半です。わずかながら日本で注目された韓国アーティストがいました。

真ん中がリーダーのソ・テジ。左がヤン・ヒョンソク、右がイ・ジュノ。
1992年にデビュー。ダンス、音楽、ラップを組み合わせた手法で大ヒットを記録します。それまで韓国語でラップができるなんて誰も思っていなかったところに、彼らがそれをやってのけはじめて商業的な成功を収めます。
そういえば、日本でも長いこと「日本語でラップは無理」と言われていましたね。それがスチャダラパーと小沢健二による『今夜はブギー・バック』(1994年)がヒットしたあたりから変わっていきました。
さてソテジワアイドゥルは、日本でも1994年から95年にかけてアルバムを2枚発売しています。そして1996年、人気絶頂の状態で解散します。その後、ソ・テジはソロ活動、イ・ジュノはプロデューサー業に進み成功しています。

彼は解散した1996年に芸能事務所を興します。事務所はビルの地下の1室で、社員はたったの2人でした。彼は自分たちが切り開いたヒップホップをさらにメジャーな存在に押し上げたいと考えました。
地道な活動の結果、少しずつ所属アーティストが増え、彼らが仕掛けたヒップホップはK-POPの代名詞にまでなります。この事務所の名前はYGエンターテインメント。今では韓国芸能界を牽引する大手プロダクションに成長しています。
左の写真は現在のヤン・ヒョンソクCEO。なんというか、社長の風格バリバリです。
日本でも活躍中のBIG BANG、SE7EN(セブン)、2NE1(トゥエニィワン)などが所属しており、まさにコリアン・ドリームの体現者といえます。
話を90年代に戻します。「ダウンタウンのごっつええ感じ」(1991年〜1997年)という番組をご存知ですか。お笑い芸人以外にも篠原涼子さん、YOUさん、松雪泰子さん、坂本龍一さんなどまで出演していた今ではちょっと考えられない伝説的な番組です。
1996年、『オジャパメン』という歌がこの番組のエンディグ曲になります。ダウンタウン、今田耕司、東野幸治、板尾創路、ホンコンらレギュラー陣が時代錯誤のスタジャン姿で「ノムロ」「ウェローチ」「ディングディングドラガヌン」など、まるで呪文のような歌を歌う様はとにかく衝撃的でした。

しかし、この頃、韓国はまだまだ遠い国、テレビの電波で韓国語が流れることがほとんどなかった時代です。
韓国語は本当に呪文のような響きを持っていました。

李博士は、ジャンル、経歴、ブレイクまでの経緯などすべてが異色のアーティストでした。音楽のジャンルは一応「ポンチャック」というものですが、「李博士は李博士というジャンル」と考えた方がいいかもしれません。
「ポンチャック」というのは、ズン・チャ、ズン・チャ、ズン・チャと単純な2拍子が永遠に続いていく音楽です。「鑑賞」が目的ではなく「眠気覚まし」のために長距離バスやタクシーの運転手が聞いていた音楽だそうです。長く聞いていると頭がおかしくなりそう。たしかに、これでは眠る暇もありません。
李博士はこのポンチャックをテクノ風にアレンジしてインディーズでひっそりデビューしました。そしたら、マニアってのはスゴイもので、電気グルーヴやテクノファンたちが李博士に目をつけ、その摩訶不思議な魅力にはまっていきました。
1995年には金鳥「コックローチS」のCMに出演を果たします。ダウンタウンの『HEY!HEY!HEY!』では2番目の外国人歌手として出演しました。また、電気グルーヴの前座ですが日本武道館での公演も実現しています。その後、日本での人気が受けて、逆輸入する形で韓国でもヒットします。
YouTubeに金鳥のCMがあったんで貼っておきます。ハマるか頭がヘンになるか、いずれかの破壊力があります。
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日本におけるK-POP
・1 前史:韓国演歌(トロット)の時代
・2 黎明期(90年代前半)
・3 「S.E.S.」早すぎた日本進出
・4 挑戦期(2000年代前半)
・5 成長期と今後の行方
・6 活動中の女性アーティスト
・7 活動中の男性アーティスト
・韓国史 年代別記事一覧