数年前に友人に教えてもらい、いっしょに行ってきました。
町に到着してビックリしたのはポルトガル語、スペイン語で書かれた看板が多いこと、多いこと。
レストラン、雑貨屋、スーパーなど多くの店舗にこういった看板が掲げられていました。


歩いている人、自転車に乗っている人の多くは南米系の方々。
「ここ本当に日本?」と思えてくる不思議な町です。
そもそも、何でこんなに南米系の人が多いのでしょうか。それでは大泉町の歴史を見ていきます。
戦前の大泉町には、ゼロ戦をつくっていた中島飛行機の工場がありましたが、その敷地は敗戦後GHQに接収されます。そして、その後は三洋電機や富士重工業などの工場が設立され、工業地域として発展します。しかし、バブル経済の崩壊後、全国的に製造業の人手が急速に不足します。
そこで政府は、外国人の労働力を活用することを考え、1990年出入国管理法を改正します。これにより、日系外国人の在留資格(ビザ)が日系3世以降も取得できるようになりました。これを機に大泉町にはたくさんの日系外国人(主に南米ブラジル、ペルー、ボリビアなど)が集まるようなったのです。
ちなみに人手不足を解消しようと、日系外国人を積極的に誘致した主な自治体は
・群馬県大泉町 ・群馬県太田市
・静岡県浜松市
・岐阜県美濃加茂市 ・岐阜県大垣市
・愛知県豊田市 ・愛知県小牧市 ・愛知県豊橋市 などでした。
これらの地域には、ブラジリアンタウンが形成されていますが、群馬県大泉町は南米系人口の比率が全体の16%(約6500人)と群を抜いています。もちろん外国人が占める割合の高さは全国ナンバーワンです。

これを受けて大泉町もブラジリアンタウンの観光地化に取組みはじめています。
2007年4月に大泉町観光協会を発足。同年9月にサンバのカーニバル「大泉カルナバル」をスタートさせます。

今後、横浜・神戸・長崎のチャイナタウン、新大久保(東京都新宿区)のコリアンタウンのように、全国的な注目を集めるのは間違いないです。
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★外部リンク
・大泉町観光協会
・レストラン・ブラジル