2011年03月22日

正教会2 原始キリスト教の流れを汲む歴史の生き証人

前回のエントリで紹介した「ニコライ堂」は、日本ハリストス正教会の本山です。

そもそも正教会って何なんでしょうか。宗教に関心の薄い日本人にとっては、“キリスト教の一派”程度の理解しかなく、古いのか新しいのかもよくわかりません。

「カトリックなんですか?」「プロテスタントなんですか?」と聞くのがやっとです。
正解をいうと「カトリックでもプロテスタントなく、正教会は正教会」です。

そもそも、高校世界史の教科書が誤解を生みかねない構成になっています。
一般的に「正教会」の記述が出てくるのは、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の項のあたりからで、時代が下ると、「ギリシア正教」「ロシア正教」といった記述も出てきます。
これだけ見ると、東ローマ以降にカトリックから分派した一派なのかな、と思ってしまっても仕方がありません。

正教会側の主張はその逆。原始キリスト教に近い状態で現代に伝えているのが正教会で、教義の違いで分裂したのがカトリック。そのカトリックから宗教改革の流れの中で分派していったのがプロテスタント諸派としています。わかりやすく図にするとこんな感じ。
crist.jpg

東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルを中心に栄えた正教会は「東方教会」と呼ばれることがあり、、ローマを中心としたカトリックを「西方教会」と呼んで区別するときがあります。

キリスト教は、ある日突然に「東西」に分裂したわけではありません。大きな原因はローマ帝国が東西に分裂して以降、地域によって文化や風習がかなり違っていったことが背景にあります。キリスト教もしだいに、教義や礼拝の方法、神職などに隔たりが大きくなり、ついには分裂に至るというわけです。

次回からその当たりに迫っていきます。


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ラベル:キリスト教
posted by すぱあく at 09:18| Comment(0) | TrackBack(0) | ヨーロッパ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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