2011年03月19日

テルミン2 映画にもなった数奇すぎる人生

テルミン ディレクターズ・エディション [DVD] / レフ・セルゲイヴィッチ・テルミン, クララ・ロックモア, ブライアン・ウィルソン, トッド・ラングレン (出演); スティーブン・M・マーティン (監督)レフ・テルミン博士の数奇すぎる人生は、1993年にドキュメント映画になり、日本でも話題になりました。テルミンという埋もれていた楽器が見直されるようになったのも、この映画がキッカケです。

レフ・テルミンは、楽器以外にも盗聴器、テレビ、センサーなどさまざまなものを発明した「天才」でした。しかし、その才能は、20世紀の東西冷戦期に政治の道具として利用されてしまうのです。

彼は回顧録も残していますが、どれが真実か、実はわかりません。以下、年表で見ていきます。

1896年、レフ・テルミンは、帝政ロシアのサンクトペテルブルクで、法律家の父セルゲイと母エフゲーニャの間に生まれます。 後に回顧録で「母親の子宮にいたときの記憶もある」と述べています。天才性を物語るエピソードのひとつです。
母の影響で音楽に親しみ、高校在学中にペトログラード音楽院でチェロを学びます。
1914年、ペトログラード大学に入学。物理学と天文学を専攻しましたが、第一次世界大戦の影響で高等軍事技術専門学校に編入します。

1917年、ロシア革命では赤軍に参加。1922年、ソ連建国後、ペトログラード物理工科大学で主任研究者として就職。そこで電磁場の現象を発見し、これを応用して1920年に楽器「テルミン」を発明。1921年、同僚の妹で医学生であった、エカテリーナと結婚します。

Dr_termin.jpg1922年、ウラジミール・レーニンに招かれ、レーニンの前でテルミンを演奏し、感激したレーニンもテルミンを演奏します。

1928年、楽器「テルミン」の演奏会のために渡米。ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団と共演。
米国滞在は10年に及び、この間、テルミン楽団を結成したり、研究所をつくったり、最初の妻と離婚しバレエ団のプリマであるラヴィニア・ウィリアムズと結婚したりします。

総じて、ここまでは順風満帆の人生だったといえます。

1938年、ソ連に帰国。しかし、実際はなんとKGBに拉致されての帰国でした。
そして「反革命組織への参加」の罪で逮捕されます。その後、ブトイルカの収容所に投獄され、さらにはシベリアで強制労働をさせられます。

そして、科学者や技術者が強制的に研究開発をさせられる特殊収容所で、数々の研究開発(爆撃機や盗聴機など)を命ぜられていました。ショッカーに拉致された科学者が仮面ライダーを作り出したわけですが、本当にそんなことをさせられていたことに驚きます。

1947年、刑期は終了しましたが、引き続きKGB管轄の秘密研究所で仕事を強いられます。この年に当時26歳のマリアと結婚し、双子の娘をもうけます。

1964年、ようやく秘密研究所から解放されて、モスクワ音楽院の音楽音響研究所で研究員として働きます。1967年にはモスクワ大学物理学部の音響学研究室で実験機器の製作に従事します。

ソ連末期、ペレストロイカにより再び国外にでることが可能になったので、1991年米国を再訪し、数々の演奏会を開催します。また、かつての妻ラヴィーナ・ウィリアムズを探しましたが、1989年にすでに他界していました。

その後ロシアに帰り、ソ連崩壊から約1年後の1993年にモスクワにて他界。97歳でした。

ロシア革命→→→ソ連建国→→→東西冷戦→→→ソ連崩壊というロシア現代史に翻弄された人生であることは間違いないのですが、ブレない強い意思も感じます。政治的圧力も、彼の忍耐強さと才気には敵わなかったのではないでしょうか。

なお、映画『テルミン』の配給元のアスミックのサイトに詳しい情報があります。

posted by すぱあく at 15:26| Comment(0) | TrackBack(0) | ロシア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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