2011年02月26日

U2のボノが取り組んでいる慈善事業について考えてみる

bono.jpgアイルランドで結成され、世界的なバンドになったU2。写真はそのU2のボーカルのボノと愛娘ジョーダン。
今回はボノが熱心に取り組んでいる慈善事業(政治活動、ロビー活動)の内容について考えてみたいと思います

一般的にロックミュージシャンというのは反体制の象徴と思われています。ローリング・ストーンズとか、モトリー・クルーとか、KISSとか、マリリン・マンソンとか・・・。よって、ロックミュージシャンが慈善事業をするというのは、そのイメージと正反対であり、「売名行為」ととられかねない危険性があります。

その一方で、「We Are The World」に代表されるようなミュージシャンによるチャリティーが普及してきたのも事実です。彼らの知名度があれば、短期間で巨額の収入が集まります。それを慈善事業に生かすのはたしかに効率的でした


U2のボノが慈善事業に熱心なことはよく知られています。彼の活動を年表で見ていきます。
1960年
アイルランドのダブリンで生まれる。本名はポール・デイヴィッド・ヒューソン。

1979年(19歳)
U2メジャーデビュー。

1982年(22歳)
高校時代の同級生アリソン・ヒューソンと結婚。アリソンは後に夫とともに慈善事業を推進。4人の子どもに恵まれる。

1985年(25歳)
エチオピア飢餓救援コンサート「ライブエイド」に参加。同国の孤児院で6週間、夫婦でボランティアをした。このとき自分の知名度と影響力をアフリカの貧困撲滅のために使おうと決意。米英独仏のトップに会い、協力を呼びかけた。

1990年代末〜
スポークスマンとしての積極的な活動を始める。アフリカ貧困国の対外債務帳消しを唱える「ジュビリー2000」運動に参加。ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世やアメリカ大統領ビル・クリントンに面談し、運動への理解を求めた。

2001年(41歳)
チャリティーシングル「What's Going On:All Star Tribute」を企画。R.E.M.のマイケル・スタイプ、ブリトニー・スピアーズ、クリスティーナ・アギレラ、デスティニーズ・チャイルド、バックストリート・ボーイズなど様々なアーティストが参加した。エイズ治療・研究基金を募る目的だったが、発売後にアメリカ同時多発テロ事件が発生したため、収益の半分をテロ犠牲者の家族支援基金へ贈った。

bono_time.jpg2002年(42歳)
ジュビリー2000の延長として、「DATA」(Debt:債務、AIDS:エイズ、Trade:貿易、Africa:アフリカの頭字語)を共同設立。

2003年(43歳)
ノーベル平和賞候補になる。フランスのシラク大統領からレジオン・ドヌール勲章を授与される。

2004年(44歳)
「DATA」やビル・ゲイツと妻メリンダによる「ビル&メリンダ・ゲイツ財団」らが非営利組織「ONE Campaign」を設立。同年ライブイベントを行う。

2005年(45歳)
7月のG8サミットで、アフリカに500億ドルの援助と最貧困国18ヵ国の債務免除をする事を約束させた。10月には米国大統領ジョージ・W・ブッシュと昼食をし、援助の約束を取り付けた。再び、ノーベル平和賞候補になる。TIME誌が選ぶ「パーソン・オブ・ザ・イヤー」に「善きサマリア人」(弱者を助ける人の意)としてビル・ゲイツ夫妻と共に選ばれた。

bono_abe.jpg2006年(46歳)
1月の世界経済フォーラム年次会合では、売り上げの1%がエイズ対策基金に回る「RED」を新設。11月の来日時に安倍晋三首相を表敬訪問。この際、REDとエンポリオ・アルマーニのコラボレーションモデルのサングラスを贈り、安倍首相がこれを掛けるという場面も。3度目のノーベル平和賞候補になる。英国より名誉ナイト爵位を受ける。

2008年(48歳)
福田康夫総理と会見。慶應義塾大学から名誉博士号(法学)を受ける。

2010年(50歳)
ロシアのメドヴェージェフ大統領と会見し、貧困撲滅や音楽について話し合った。



アフリカへの想い
なぜアフリカにこだわるのか、06年の来日時、TBSテレビ「筑紫哲也NEWS23」でのインタビューで以下のように語っています。
深くは分からないけど、アフリカのような地域に多くの可能性を見いだしているからです。そうした可能性が無駄にされ、人命が失われるのは私には耐え難いことなんです。

21世紀だろ? これほど裕福になり、力を持ち、技術も持っているのに、もう少しうまく出来ないのか」って考えてしまうのです。私は問題の一部ではなく、解決する側になりたいのです

活動は十分ではないけど、少しは成功しています。今では40近い国が税金を借金の返済に使うのではなく、健康や教育の分野に使えるようになっています。この債務返済免除によって、1500万人のアフリカの子供が学校に行けるようになりました

批判
一方で、当然批判もあります。たとえば、06年6月にU2は音楽出版会社の拠点をアイルランドからオランダへ移転。このことに対し、節税目的ではないかという批判の声が上がりました。「母国に納税しないのに、アイルランド政府に援助を要請する、偽善じゃないか」と。

これに対し、ボノは真正面からこのように言います。「U2は抜け目なく事業を行っている。一日中、世界平和を考えてぼんやりしているわけではない」と。


日本人でここまでできる人は登場するか?
日本でチャリティーに熱心なタレントは、政府や慈善団体の受けがよくても、ネットを中心とした一般人からは「売名行為」と受け取られます。近年の例でいえば、藤原紀香さん、中田英寿さんなど。「24時間テレビ 愛は地球を救う」(日本テレビ)も度々、批判にさらされます。ただ、黒柳徹子さんは例外的に批判する人は少ないです
これはチャリティーへの考えの違い、チャリティー文化の未成熟さが原因として考えられます。

というのも、ボノの慈善事業は決してボノひとりで成し得たことではないからです。ボノを看板にして、慈善事業を成功させようという支持者が相当数いたということです。支持者のひとりは、大統領へ面会できるように骨を折ったでしょう。さらにひとりは、金策に奔走したでしょう。メディアへのPRを大々的に実施した支持者もいたでしょう。ボノは自分自身が看板の役割りであることを熟知して、こうした支持者たちの想いを実現させていったのだと思います

つまり、中田英寿さんや藤原紀香さんだけが熱心でも成功はしません。さまざまな人が集まって、チャリティーを理解する土壌が成熟し、著名人が看板になったときようやく成功できるのです。ぜひいつの日か、ボノのように世界に影響を与えることができる日本人ミュージシャン(もちろん政治家でも俳優でもスポーツ選手でもいい)が登場してほしいと願っています。


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posted by すぱあく at 09:20| Comment(0) | TrackBack(0) | ヨーロッパ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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