ブルース・リーは有名なので後述します。
中華圏では誰もが知るほどの大富豪に、スタンレー・ホー(何鴻燊)(1921年〜、現82歳)がいます。『マカオのカジノ王』『ゴッドギャンブラー』というあだ名を持つ人物です。
マカオは06年にカジノ売り上げが69億5000万米ドル(約8400億円)に達し、ラスベガスを抜いて世界最大のカジノ都市になっています。マカオといえば「カジノ都市」のイメージが定着していますが、実は60年代まではとくに何もないポルトガルの一植民地に過ぎませんでした。それをここまで発展させてきたのが、他ならぬこのスタンレー・ホー氏なのです。
そして、このスタンレー・ホー氏とあのブルース・リーは同じ一族の出身です。
それが何東一族(ホー・トン ファミリー)。イギリス領香港で四大財閥のひとつに数えられ、今も大きな影響力を持っている一族です。
一族の祖である何東(ロバート・ホー・トン、1862年〜1956年)は、西洋人の父と香港人の母から香港で生まれますが、父は事業の失敗後に蒸発してしまいます。母の手一つで育ちながらも、成績優秀で卒業後は貿易に携わります。
そして1881年、19歳のときにジャーディン・マセソン商会に入社します。
阿片戦争によって香港がイギリス領になってから40年。ジャーディン・マセソン商会は香港でも着々と事業を伸ばしていました。
何東は貿易と翻訳を任され、優秀な業績が認められて買弁(マネージャー)に抜擢されます。そして、保険や食糧の関連会社を設立して、ジャーディン・マセソン商会を一層発展させます。
このとき、弟である何福、何甘棠も同社に入社させ、彼らも優秀な買弁として活躍します。
そして1894年、32歳のときにジャーディン・マセソン商会中国総経理に就任しました。
38歳のときに健康上の理由から同社を辞職。弟の何福が後任となりました。
健康が回復した後は、自身のビジネスに心血を注ぎ、貿易業、運送業、不動産業にも進出しました。
こうして何東は大富豪となり、一族も代々ジャーディン・マセソン商会と関わりを持ち、強大になっていきました。
そして、何福の孫の一人にスタンレー・ホーが、何甘棠の孫の一人にブルース・リーがいるのです。
こう聞くと、「あぁ、なるほど、スタンレー・ホーはもともと財閥の出身で、その財力を背景にマカオのカジノ王になったのか」と思ってしまいますが、実は違います。
スタンレー・ホーの場合、彼が幼いときに父が事業に失敗して蒸発してしまい、貧乏人に転落してしまっていたのです。それで、「いつか金持ちになってやる」と思いながら生きてきました。
ブルース・リーの祖父・何甘棠には、側室も合わせると12名の妻がいて、子供は30名以上いました。そのうち第3女にあたるのがグレイス・ホー(何愛瑜)。ドイツ・中国人のハーフで、実の娘ではなく養女のようです。
グレイスと役者の李海泉が結婚して生まれたのが、李振藩。
後のブルース・リー(李小龍、1940年〜1973年)です。彼は、家族が長期アメリカ巡業中、サンフランシスコのチャイナタウンで生まれました。アメリカと香港を行ったり来たりできたのは、何東一族の財力があったがゆえです。
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スタンレー・ホーの伝記。
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