2010年08月19日
モンゴル帝国 旅行記
当時のモンゴル帝国を実際に旅行した貴重な記録を紹介します。
『中央アジア・蒙古旅行記』 プラノ・カルピニ、ウィリアム・ルブルック ※併訳で共著ではない
;プラノ・カルピニ(1182年〜1252年)
1241年 ワールシュタットの戦い以降、ヨーロッパはモンゴル帝国に恐怖します。
1245年 第1リヨン公会議を開き、ローマ教皇インノケンティウス4世はカルピニをモンゴルとの交渉役に任命します。カルピニは東欧に勢力を拡大していたモンゴル帝国のバトゥと会見。「バトゥは名君だが、暴君でもある」と評しています。
1246年 モンゴル帝国の首都であるカラコルムに到着。モンゴル帝国第3代ハーンとなったグユクの即位式のクリルタイに列席しました。この時に、ローマ教皇の親書を手渡して和睦交渉を行ないましたが、グユクは和睦ではなく教皇をはじめとするヨーロッパ諸国の臣従を望んだため、和睦を果たすことはできませんでした。そのため帰国後は一時、教皇の怒りを買いましたが、カルピニが記した『モンゴル人の歴史』という史書・報告書が高く評価されたこともあり、後に怒りを解かれて大司教に任じられました。
;ウィリアム・ルブルック(1220年?〜1293年?)
1253年 フランス国王ルイ9世の命を受けてモンゴル帝国へ出発。モンゴルでのキリスト教布教が目的
1254年 カラコルムを訪れ、モンケ・ハンに謁見しましたが、布教については十分な成果を得られませんでゐした。ただ、彼が記した「東方諸国旅行記」は、モンゴル・中央アジア各地の地理・風俗・宗教・言語などを伝える貴重な旅行記となりました。
『東方見聞録』 成立年:1298年 マルコ・ポーロ(1254年〜1324)
ヨーロッパ社会に巨大な影響をもたらすことになった旅行記の代表的存在です。中東から中央アジア、中国元朝とフビライの宮廷、ジパング(日本)、インド、スリランカ、東南アジア、アフリカの東海岸、ロシアの極北地域、そしてモンゴルにおける戦争などについて言及しています。
『大旅行記』 成立年:1355年 イブン・バットゥータ(1304年〜1368年)
北アフリカのマリーン朝の君主の命令を受けて、イブン・ジュザイイのもとで口述を行なった旅行記。
イラン、シリア、アナトリア半島、黒海、キプチャク・ハン国、チャガタイ・ハン国、トゥグルク朝インド、スマトラ、ジャワを経て、元朝に達し泉州、大都を訪問(※中国には行けてない可能性もあり)
→イブン・バットゥータ『大旅行記』レビュー
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