2015年11月01日

「情人知己」

ロケ地:福井県。「情人知己」(梁文音(レイチェル・リアン)、2011年)
そうだ 福井、行こう。
https://www.youtube.com/watch?v=3RNpQqhxBbE
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2012年01月23日

『大旅行記』レビュー チャガタイ・ハン国スルタンに謁見する

中央アジアに栄えたチャガタイ・ハン国。イブン・バットゥータはここを通って、さらにインドを目指しました。
チャガタイ・ハン国もモンゴル帝国から分化した国です。

イブン・バットゥータは、西チャガタイ・ハン国のスルタンであるタルマシリンに謁見しています。本当に多くの為政者に謁見していますね。とんでもないことです。

東洋文庫『大旅行記4』174頁〜
ある日のこと、私はいつもの習慣通りにモスクで朝の礼拝を行うために出掛けた。礼拝が終わると、住民のある人が私に、スルタン(タルマシリンのこと)がそのモスクにおられると教えてくれた。そこでスルタンが礼拝を終えて立ち上がったときに、私は彼のところに進み出て礼拝した。
そのとき、シャイフ=ハサンが、法学者フサーム・ウッディーン・アルヤーギーと一緒に立ち上がった。その二人は、私の身分のことや数日前に私が到着したことなどをスルタンに伝えた。
するとスルタンは私に向かってトルコ語で「フシュ・ミースィン・ヤフシー・ミースィン・クトルー・アユースィン」といった。「健康はどうだ?汝が来られたことは大変よろこばしいことだ」という意味である。そのときの彼は、緑色のクドスィー製の外套を羽織り、彼の頭にはそれと同じ織物の半球帽をかぶっていた。

その礼拝の後、いつも彼は自分の謁見室に戻っていくのであるが、一般の人々は彼に対してさまざまな苦情を訴えていた。彼は身分が低いものでも高いものでも、また男女誰でも苦情のあるものひとりひとりのために誠心誠意尽くすのが常である。

★時代背景
チャガタイ・ハン国は、チンギス・ハンの次男チャガタイを始祖にしていますが、彼が建国したわけではありません。
1306年、チャガタイの4代後の子孫で10代当主のドゥア(wikipedia)のときに、チャガタイ・ハン国として大きくなりました。

しかし、1326年、第15代当主のケベクが死去したときに東西に分裂してしまいます
東チャガタイ・ハン国の初代君主はイルジギディ
西チャガタイ・ハン国の初代君主はタルマシリン

イブン・バットゥータが謁見したのは、西チャガタイ・ハン国の初代君主タルマシリンでした。


★解説
samarkando.jpgイブン・バットゥータはタルマシリンの宿営地に54日間滞在します。
その後、サマルカンドにも訪れています。しかし、当時は内乱のため、廃墟になっていたことが『大旅行記』にも記されています。

サマルカンドの復興は、ティムール朝の首都になってからです。
英雄ティムールは、後に西チャガタイ・ハン国で生まれ、台頭してくるのです。


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2012年01月20日

『大旅行記』レビュー キプチャク・ハン国スルタンに謁見する

1333年、イブン・バットゥータはウクライナ一帯に広がるキプチャク・ハン国(ジョチ・ウルス)
スルタンであるウズベク・ハン(wikipedia)に謁見しています。

東洋文庫『大旅行記4』34頁〜
彼の名前は、ムハンマド・ウーズバク(ウズベク・ハンのこと)である。「ハーン」の意味は、彼らによると「スルタン」のこと。このスルタンは王国の偉大なる主権者として強大な権力を持ち、威厳高く、比類なき高い地位にあり、そして神の敵対者たち、コンスタンティノープルの住民に対する勝利者、彼らへの聖戦に精励する人物である。

中略

sogen.JPG宿営地ビジュ・ダグでの私の滞在は、スルタンの第二皇子ジャーニ・バグの保護の下にあった。私が到着した日の翌日、午後の礼拝の後に、私はスルタンのもとに赴いた。そのとき、すでにスルタンは、シャイフたち、法官たち、法学者たち、シャリーフたち、修行者たちを集めて、盛大な宴会を用意していた。

われわれはスルタンの前で、その日の断食の禁を解いた。サイイドであり、シャリーフたちの代理官であるイブン・アブド・アルハミードと法官ハムザが参列の人々に向かって私への賛辞を述べてくれたので、人々はスルタンに私を丁重に待遇するよう勧めた。

この後、数日してから私はスルタンと一緒に午後の礼拝を行った。私がモスクから立ち去ろうとすると、スルタンは私に座るように命じた。そして、まるでドゥーキーから造ったと思われるような各種のスープ、つづいて羊と馬の肉を煮たものが運ばれてきた。その夜、私はスルタンに一皿の砂糖菓子をもたらしたが、彼はそれに指で触れ、その指を口もとに置いただけで、それ以上のことはしなかった。

★時代背景
batu.jpgキプチャク・ハン国(ジョチ・ウルス)はモンゴル帝国から分化した国のひとつです。
開祖はチンギス・カンの長男であるジョチになりますが、事実上、建国したのはその息子であるバトゥです。

キプチャク・ハン国建国の経緯はこうです。
ジョチの死後に家督を継いだバトゥは破竹の勢いでポーランド軍を蹴散らし、まさにヨーロッパへ乗り込もうとしていました。しかし、その矢先の1241年、モンゴル帝国皇帝であるオゴテイが急死してしまいます。
モンゴルの決まりでは、皇帝が死去したときは最高会議のクリルタイを開催して次期皇帝を決めなければなりません。バトゥはやむなく帰国することになります。

蒼き狼の血脈 [単行本] / 小前 亮 (著); 文藝春秋 (刊)しかし、モンゴル本国では次期皇帝の座を巡って内紛が発生していました。バトゥは、モンゴルに戻っても内紛に巻き込まれるだけだと考え、1243年サライを都としたキプチャク・ハン国(ジョチ・ウルス)を建国したという訳です。

小前亮氏がバトゥを主人公にした小説『蒼き狼の血脈』を書いています。チンギス・カンの末裔を主人公にした小説は日本ではまだ珍しいので、歴史ファンには嬉しい一冊です。


その後、モンゴル帝国は4つに分裂し内紛が発生します。しかし、1305年に休戦協定が結ばれ、「パックス・モンゴリカ」という平和の時代がやってきます。イブン・バットゥータのような旅行家や商隊にとって、ユーラシア大陸を横断するのに非常に好都合な時代だったのです。


★解説
ウズベク・ハンはバトゥの玄孫であり、キプチャク・ハン国(ジョチ・ウルス)第10代当主(ジョチを初代とした場合)になります。彼の治世に同国は最盛期を迎えます。
とくに、イスラームへの理解が深かったため、その後同国はイスラム化が顕著になっていきます。

ちなみに、文中にある第二皇子ジャーニ・バグ(wikipedia)は後に第12代当主になります。

なお、イブン・バットゥータがウズベク・ハンと謁見したのは首都サライではなく、ビジュ・ダグという軍営地でのことでした。


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2011年10月22日

琉球大・池田栄史教授が元寇船を長崎・松浦沖で発見

琉球大学・池田栄史教授の「水中考古学手法」により元寇船が良い状態で発見されました。今後、船の復元に期待がかかります。
genko.jpg
「蒙古襲来絵詞模本」に描かれた元寇船

長崎県松浦市・鷹島沖の伊万里湾で、鎌倉時代の元寇(弘安の役、1281年)の際に沈んだとみられる元の軍船が発見された。

発掘を続けていた琉球大の池田栄史教授(考古学)が、20日明らかにした。鷹島周辺ではこれまで元軍の船材の一部やいかり石、砲弾などが出土しているが、原形をとどめた船体がまとまって見つかったのは初めて。

船体は鷹島の南、水深20〜25メートルの海底を約1メートル掘り下げた層で昨年発見され、今年9月30日から本格的な調査を行っていた。船底の背骨にあたるキール(竜骨、幅50センチ、長さ15メートル)と、その両舷側から、幅15〜25センチ、厚さ10センチ、長さ1〜10メートルの船底・船腹の板材が多数見つかった。キールの両側には白灰色の塗料が塗られていた。

中央にキールが通っている船底構造のほか、船材上に中国陶磁器の破片や中国特有のレンガである磚(せん)があったことから、元の軍船と判断された。キール先端にはさらに部材をつなぐ加工があり、全長は少なくとも20メートルに達するとみられる。

鎌倉時代、中国・元のフビライは日本に服属を迫るため、2度にわたり朝鮮半島の高麗との連合軍で来襲した。文永の役(1274年)に続く弘安の役では、約4400隻からなる大船団で、14万人の将兵が攻めよせ、一部が博多などで戦闘を繰り広げた。その後、船団が鷹島周辺に集結した際に「神風」と呼ばれた暴風雨で、大半が壊滅したとされる。

日本列島では縄文、弥生時代の丸木舟が出土した例はあるが、木材を組み合わせた中世以前の構造船が原形をとどめて出土したのは初めて。構造船としては最古の発見例となる。(2011年10月20日 読売新聞)

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★外部リンク
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2010年08月21日

モンゴル帝国を退けた国・人物

モンゴル帝国は、「行けるところまで行く」という戦略を取っていたため、際限なく領土が広がっていきました。
ですから、その動きがストップした地域には蒙古軍を撃退した国や人物がいたわけです。
そんな勇猛かつ運のいい国や人物を見ていきましょう。
下図はモンゴル帝国の最大版図です。それにしても冗談みたいな大きさですね

mongol_map.jpg
Henryk.jpg
@1241年 ワールシュタットの戦い
○モンゴル帝国(バトゥ) VS ×ポーランド王国(ヘンリク2世)
・ポーランド王のヘンリク2世が戦死し、壊滅的な打撃を受ける
・しかし、モンゴル帝国皇帝のオゴテイが死去したため、バトゥは帰国を余儀なくされる
・ポーランドを含めた欧州世界は命拾いする




tokimune.jpgA1274年 文永の役、1281年 弘安の役
○鎌倉幕府(第8代執権・北条時宗) VS ×モンゴル帝国(大元・高麗の連合軍)
・二度とも神風が吹いて退却
北条時宗は、反対分子の兄・時輔を謀殺したり、日蓮を佐渡に流刑にしたり陰謀家の一面も。
・蒙古撃退直後の1284年に死去
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Baibars2.jpgB1277年 アナトリアにおける戦い
○マムルーク朝(第5代スルタン・バイバルス) VS ×モンゴル帝国(イルハン朝)
バイバルスがモンゴル軍を撃退し、ダマスカスに凱旋するも直後に急死
・モンゴル軍の編成は、事実上服属していたトルコ人
・モンゴル軍はこの敗北で進軍はシリアで止まる
・日本ではマイナーのバイバルスだが、シリアではサラディンと並ぶ英雄



C1288年 白藤江の戦い
chan.jpg○陳朝(第3代皇帝仁宗、将軍・陳興道) VS ×モンゴル帝国(大元)
陳興道(チャン・フン・ダオ)が巧みなゲリラ戦で元軍に大勝
・ベトナムはモンゴルの服属を免れる
・陳興道も日本ではマイナーだが、今もベトナムの英雄
・ベトナムは当代最強のモンゴル軍に勝利し、20世紀も当代最強のアメリカ軍に勝利








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NHK大河ドラマ『北条時宗』(2001年)。主演はダブルブッキングで世間を騒がせる前の和泉元禰。モンゴル帝国皇帝のクビライ・カーンやマルコ・ポーロまで登場した、歴史ファンにはアツイ作品。

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2010年08月20日

モンゴル帝国 関連小説

小説が書かれた時代によって、人物たちの読み方が変化しています。それを比べるのもおもしろいかもしれません。
(例)ジンギスカン、チンギス・ハーン、チンギス・カン  フビライ、クビライ


井上靖 『蒼き狼』(1960年)
不朽の名作ですよね。チンギス・ハーンを主人公にした最初期の小説といえます。

陳舜臣 『チンギス・ハーンの一族』
チンギス・ハーンは超メジャーな歴史的な人物なので関連作品が多いですが、その後のモンゴル帝国を描いた作品となると極端に少なくなります。本書はそうした空白を埋めてくれる数少ない作品です。クビライたちの跡目争いもしっかり描かれています。

小前亮 『蒼き狼の血脈』
上記と同じく、数すくない「チンギス・ハーン」以後を舞台にした小説。本書の主人公は東欧まで勢力を拡大したバトゥです。第3代ハーンになるグユクとの犬猿の仲ぶりも描かれています。また、後にモンゴル帝国を打ち破ることになるバイバルスもゲスト出演しています。 →『大旅行記』レビュー キプチャク・ハン国スルタンに謁見する

金庸 『射雕英雄伝』(1959年)
表紙に出ているのがテムジン(ジンギスカーン)です。これは完全なフィクションなのですが、モンゴル帝国勃興期を舞台に壮大なドラマが繰り広げられます。 →誰でもハマる金庸の代表作『射G英雄伝』

高木彬光 『成吉思汗の秘密』(1958年)
これは異色。舞台は現代で「ジンギスカン=源義経」説をテーマにした推理小説です。学術的には「ジンギスカン=源義経」はあり得ないと思いますが、本書の推理はかなり説得力があり、もしかしたら「アリかも」と思えてきます。真実はともかく、歴史でワクワクすることを教えてくれる良書です。

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