2012年01月20日

イブン・バットゥータ『大旅行記』年表


以下が、イブン・バットゥータ『大旅行記』の年表で、このレビューのインデックスでもあります。
西暦は、東洋文庫『大旅行記1』415頁にあるものを参考にしました。
実際は、さまざまな矛盾がある(面会したとされる人物が、その年代だとすでに死去していた等)のですが、レビューではこの年表を用います。

プロローグ:『大旅行記』とは何か

イブン・バットゥータの生涯:
1304年(0歳)
・モロッコのタンジェで生まれる。当時はマリーン朝、第7代スルタンであるアブー・ヤークーブ・ユースフの治世。

1325年(21歳)
・タンジェからメッカ巡礼の旅に出発する。トレムセン、ビジャーヤ、コンスタンティーヌを経てチュニスに到着。チュニスの地方官の娘と結婚する。

1326年(22歳)
・タラーブルス、アレクサンドリア、カイロ、ナーブルス、サイダーなどを経由してダマスカスに到着。メディナ、メッカへ向かい最初のメッカ巡礼を果たす。

1327年(23歳)
・ワースィト、バスラを経てエスファハンに滞在。シーラーズ、バグダードに滞在。タブリーズ、マウスィルへ向かったあとで再びメッカに戻る。

1328年〜1329年(24〜25歳)
・メッカに滞在。

1330年(26歳)
・巡礼大祭に参加後、紅海を南下してイエメンへ向かう。

1331年(27歳)
・東アフリカ、アラビア半島南部を旅する。

1332年(28歳)
・イラン南部、ハジャル、ヤマーマを経てメッカに戻る。インドへ向け出発。上エジプト、シリアから小アジアへ向かう。アクリードゥールに滞在し、ラーズィクを経てブルサに到着。

1333年(29歳)
・コンスタンティノープルへ向けて出発。
キプチャク・ハン国スルタンのウズベク・ハンに謁見する
・ロシア南部のヴォルガ・ブルガールを経てコンスタンティノープル(東ローマ帝国の首都)に到着。
コンスタンティノープルで東ローマ帝国皇帝アンドロニコス3世パレオロゴスに謁見する
聖ソフィア大聖堂について説明する
・中央アジアに広がるチャガタイ・ハン国に到着。スルタンのタルマシリンに謁見する
・中央アジアのフワーリズムやカーブルを経てインダス川に到着し、スィンド地方を経てデリーに到着。
デリーのクトゥブ・ミナールについて説明する
トゥグルク朝スルタンのムハンマド=ビン=トゥグルクの性格について言及する
14世紀のトゥグルク朝インドの物価高騰について言及 
トゥグルク朝スルタンのムハンマド=ビン=トゥグルクに謁見する
ムハンマド=ビン=トゥグルクから法官職を任命される

1334年〜1340年(30〜36歳)
・デリーに滞在。イブラーヒム・ブン・ジャラール・ウッディーン・アフサーン・シャーの娘と結婚する。
スルタンに債務免除を懇願する

1341年(37歳)
・法官を辞してザーウィヤに滞在。

1342年(38歳)
スルタンから元への使節に任命される
・デリーを出発

1343年(39歳)
・インド洋のムライバール海岸を通過し、シンダーブールに滞在。カーリークートに戻った後にマルディヴへ向かう。

1344年〜1346年(40〜42歳)
・マルディヴを出発し、スリランカ、南インドを経てマルディヴに戻った後、ベンガル、スマトラを経て泉州に到着。広東と杭州を経て大都へ到着。

1347年(43歳)
・東南アジアを経てカウラム到着。ザファール、マスカト、ホルムズ、イラン、イラクを巡る。

1348年(44歳)
・バグダード到着。ダマスカス、ハマーを経て、アレッポ滞在。イエルサレム、アレクサンドリア、カイロに向かい、ペストの被害を目撃する。カイロ滞在後にメッカへ到着。

1349年(45歳)
・巡礼大祭に参加後、メディナ、ガッザ、カイロへ向かう。アレクサンドリアから船で出発し、ガーベス、チュニス、サルディニア島、トレムセン、ファースに到着。マリーン朝のスルタン、アブー・イナーン・ファーリスと謁見。

1350年〜1351年(46〜47歳)
・タンジェに戻った後、ジハードのためにジブラルタル海峡を渡ってアンダルスへ向かい、ロンダ、グラナダに到着。イブン・ジュザイイと会う。サラー、マラケシュを経てファースに戻る。

1352年(48歳)
・シジルマーサを出発、サハラ砂漠横断の旅を行ない、マーリーに到着。

1353年(49歳)
マーリーを出発、タカッダー、シジルマーサに到着。

1354年(50歳)
・ダール・アッタマゥ到着。ファースへ向かう。

1355年(51歳)
・巡礼記を終える。

1368年(64歳)
・死去

●イブン・バットゥータの旅行図

ibn-battuta_map.gif


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2012年01月19日

イブン・バットゥータ『大旅行記』レビュー

iven.jpg以前書いたイブン・バットゥータ『大旅行記』のレビューをリニューアルします。

イブン・バットゥータは、マルコ・ポーロに並ぶ大旅行家です。

1304年、モロッコのタンジェ(当時はマリーン朝)生まれ。21歳のときにメッカ巡礼に出発してから、世界を旅して回りたいという欲求が強くなり、大旅行を決意。

エジプトを経てメッカを巡礼し、さらにイラン、シリア、アナトリア半島、黒海、キプチャク・ハン国、中央アジア、インド、スマトラ、ジャワを経て中国に達し、泉州・大都を訪問したといわれています。
 (※注)中国の記述は伝聞で、実際には行っていないという説もあります。

故郷のモロッコで発行されているイブンの切手

1349年、故郷に帰還。その後もアンダルシア(イベリア半島)とサハラを旅し、1354年にマリーン朝の都フェスに帰還。1368年、64歳で死去します。

ネットも飛行機もない時代・・・。異国はあまりに遠く、あまりに理解しがたい世界でした。そんな時代にあって、アフリカからアジアまで旅してしまうなんて、なんて凄まじい行動力でしょうか。単純に畏敬の念を抱きます。

大旅行記〈1〉 (東洋文庫) [単行本] / イブン バットゥータ (著); イブン ジュザイイ (編集); 家島 彦一 (翻訳); 平凡社 (刊)彼が残した貴重な記録が『大旅行記』です。
この書物は何世紀にもわたって、世界を知るための貴重な資料として読み継がれてきました。
東洋文庫(平凡社)から出版されているので、日本語でも読めます。

ただ、何の予備知識もなく読んでも、よく分かりません。イブン・バットゥータは、21世紀の人にわかるように書いてはいないので、当然といえば当然です。


しかし、現在はネットでさまざまな知識を短時間で入手できるようになっているので、調べながら読み進めると、結構理解できます。
すると、14世紀のロマン溢れる世界が脳裏に浮かびあがってくるのです。

このレビューは、彼の行程年表をインデックスにして、注目した出来事を紹介していきます。それぞれの記事には、東洋文庫版『大旅行記』の該当箇所を記しておきますので、読書ガイドにもなると思います。
なお、本レビューの解説のほとんどは、東洋文庫版『大旅行記』訳者の家島彦一氏のものを参考にしています。

それでは、いっしょに14世紀の地球を旅しましょう。

イブン・バットゥータ『大旅行記』年表

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2010年08月23日

ワールドカップに見る宗主国と植民地の関係

サッカーが人々を熱狂させる一つのファクターに、国同士の「代理戦争」があると思います。

なぜサッカーの試合で、韓国があそこまで日本を敵視するのか。
やはり、日韓併合の歴史があるからでしょう。

似たようなカードとして以下のようなカードは国民が熱狂すると聞きます。
トルコ VS ギリシア・・・オスマン帝国時代 
ドイツ VS チェコ・・・ナチスドイツ時代

それで、今年の南アフリカ大会で、宗主国と植民地のような国同士の戦いはどのようなものがあったか見てみます。
左が宗主国(支配国)、右が植民地(被支配国)です

グループC
イングランド VS アメリカ(1-1)・・・もう両国の間には、植民地がどうだという感情はないかもしれません

グループD
ドイツ VS セルビア(0-1)・・・ナチスがユーゴスラビアを統治

グループG
ポルトガル VS ブラジル(0-0)・・・1825年に独立。強豪国同士だったんですが、試合はちょっと期待はずれでしたね

グループH
スペイン VS ホンジュラス(2-0)・・・1838年に独立
スペイン VS チリ(2-1)・・・1818年に独立

決勝トーナメント1回戦
スペイン VS ポルトガル・・・隣国同士。1385年にスペインから独立

準々決勝
スペイン VS パラグアイ・・・1811年に独立

決勝
スペイン VS オランダ・・・1648年に独立

spain.jpgさすが「日の沈まぬ帝国」をつくったスペインは、多くの国を領有していたことがわかります。
さかのぼりスペイン史5 太陽の沈まない帝国

しかし、かつての大帝国も近現代は、内戦→フランコ軍事政権→王政復古→超インフレと混乱を繰り返してきました。
さかのぼりスペイン史3 長く続く混乱の時代へ
さかのぼりスペイン史2 スペイン内戦

そのスペインが今回は初優勝を飾りました。今回の優勝が国民を勇気付けたことは間違いありません。


★関連記事
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2002年日韓ワールドカップの経済効果(中国語)


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タグ:スポーツ
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