2014年07月31日

『竜馬がゆく』における坂本龍馬のモデルはハンガリー人の青年!

shiba-ryotaro.jpg7月26日に、NHK Eテレで『知の巨人たち〜日本人は何をめざしてきたのか』という番組がやっており、そのときのテーマが司馬遼太郎でした。生前のインタビューに加え、彼と親しかった編集者や学者たちの証言が多く、初めて知る内容ばかりでした。この番組では、司馬遼太郎が目指してきた重要なキーワードがいくつも登場してきたのですが、個人的には、どうしても2つのことを言及したくなりました。
@『竜馬がゆく』における坂本龍馬のモデルはハンガリー人の青年!
Aなぜ司馬遼太郎は戦中を舞台にした小説を書かなかったか


消えては現れる龍馬ブーム
坂本龍馬が幕末の重要人物であることは否定しようがありませんが、それでも「龍馬ブーム」というのは現れては消え、消えては現れるという現象を繰り返してきました

1867年、龍馬は31歳で暗殺されたため、明治新政府の姿を見ることなく死去。当然、新政府の重職に就いたわけではないため、大久保利通や木戸孝允(桂小五郎)に比べれば公式文書に登場する機会が極端に減ります。そのため、龍馬の姿は同世代の証言や民間伝承によって伝わって来た側面が強いといえます。これが龍馬ブームが現れては消えてしまう理由のひとつと思われます。

龍馬ブームは、大きく分けて4つの時期があると考えられます。
@1883年、坂崎紫瀾が高知の『土陽新聞』に『汗血千里の駒』を書いたとき
A1901年、日露戦争時、明治天皇皇后の夢枕に龍馬が立ったという記事が全国紙に掲載時
B戦前、龍馬や海援隊をテーマにした映画が多数製作される
C1962年、司馬遼太郎が『竜馬がゆく』を発表。1968年、NHK大河ドラマ化

sakazaki.jpg@は日本で初めての龍馬ブームでした。NHK大河ドラマ『龍馬伝』(2010年)を見た人ならわかると思いますが、第1話のオープニングで、
坂崎紫瀾(さかざき しらん、演:浜田学)が岩崎弥太郎(演:香川照之)を訪ね、「同じ土佐人に坂本龍馬という人物がいたと聞いています。どうか、その人のことを教えてください。すごい仕事を成し遂げたと言われているのに、今は誰も彼のことを知りません。私は彼のことを後世に伝えたいのです」というシーンがあります。後に、この坂崎紫瀾によって
『汗血千里の駒』が書かれ、初めて坂本龍馬が世に出ました。

その後、また龍馬は無名になったり有名になったりして、戦後はまた無名になっていました。そこに司馬遼太郎『竜馬がゆく』が登場するのです。現在の龍馬ブームは、ほぼすべて『竜馬がゆく』の延長と考えていいでしょう。


なぜ日本人はこんな馬鹿になったのだろう?
shiba03.jpg司馬遼太郎が作家を志すようになったのは、22歳のとき。ときは1945年、つまり終戦の年でした。大阪外国語学校に通っていた司馬は学徒出陣により、満州へ出陣。その後、本土に戻っていたところで終戦となりました。作戦もへったくれもない上層部の行い、失われたたくさんの同朋の命、それらを目の当たりにした22歳の司馬は「なぜこんな馬鹿な戦争をする国に産まれたのだろう? いつから日本人はこんな馬鹿になったのだろう?」という疑問を強く持ちました。そして、「昔の日本人はもっとましだったにちがいない」と考え、「22歳の自分へ手紙を書き送るようにして小説を書いた」と述懐しています。


小説家になり、思想を深めていく
司馬は、小説家となる第一歩として新聞社に就職。いくつかの新聞社を転々とし、1948年に産経新聞社に入社します。その後、1960年に『梟の城』で直木賞を受賞し、翌年に産経新聞社を退職。専業の作家生活に入ります。そして、22歳のときからずっと考えていた「日本人とは何か?」を突き詰める思想の旅に拍車をかけます。まずは幕末を明らかにし、そして明治、戦中と進めていくことで、なぜ武士道や礼節を重んじていたはずの日本人が、あんなに馬鹿げた戦争に突入していったのかを明らかにしようと考えました。その一歩が幕末であり、長編小説『竜馬がゆく』だったのです。


困った。坂本龍馬という人物がわからない
当時は、また無名に戻っていた坂本龍馬。彼の足跡をたどるため、司馬はなんども高知県を訪れ、取材や資料集めを繰り返します。しかし、壁にぶつかります。坂本龍馬をどのようなキャラクターにしていいか、ピンとこなかったのです。ところが悩んでいた司馬に、妻のみどりが「面白い青年がいるから会ってみたら」と伝えます。みどり夫人は産経新聞の同僚だった人で、文化部で婦人欄を担当していました。あるとき各国の留学生を集めた座談会を企画し、そこで出会ったのが京都大学大学院に通うスティーブン・トロクというハンガリー出身の留学生だったのです。


ハンガリー動乱を逃れ、日本に亡命
スティーブン・トロクは当時24歳。『街道をゆく25 中国・ビンの道』に以下の記述があります。
hungry.jpgそのころ、かれは母国の政権から首に懸賞金をつけられていた。1956年、ソ連が大会戦でもおこせるほどの戦車団をハンガリーに殺到させて政治と言論の自由を弾圧したとき、ブダベスト大学の法学部学生だったトロクは学生団の委員長としてこれと闘い、ついに力及ばず、国外へ逃げた。

これはフルシチョフ政権のソ連軍が、同じ社会主義国だったハンガリーを武力で弾圧したハンガリー動乱のことです。数千人の市民が殺害され、25万人近くの人々が国外へ逃亡しました。トロクはオーストリア国境に向かい、なんとかソ連兵の隙をみて脱出に成功。しかし、投獄されたり、殺さたりした仲間もいました。
その後、紆余曲折あり日本に亡命してきたトロクは、司馬にこう語ります。「今、祖国ハンガリーはひどい状況にあります。それでも、私はいつか祖国に帰り、大統領になって新しい国を作るつもりです」

この一言を聞いたとき、司馬は「これだ! 龍馬はこのキャラクターしかない!」と思いました。ハンガリーを亡命したトロクに、土佐藩を脱藩した坂本龍馬を重ね合わせたのです。新しい国を志し、そのためならどんな苦難にも屈せずに進んでいく。それでいて明るい。男も女も彼に惚れてついていく。そんな坂本龍馬のキャラクターはこうして生まれたのです。

番組ではトロクの顔も写っていましたが、ハンサムな青年でした。彼の国を想う眼差しはきっと、多くの人を魅了したものと思われます。そして、坂本龍馬もこういう人物であったに違いないと司馬は確信を持てたのだと思います。
なお、トロクは日本人の女性と結婚し、そのまま日本に住んで最近亡くなったようです。ハンガリーに戻って政治家になったわけではないので歴史的には無名かもしれませんが、坂本龍馬のキャラクターのモデルになったのだから、巨大な足跡を残したと言えるのではないでしょうか


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ラベル:幕末
posted by すぱあく at 07:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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