2014年03月10日

源氏を紐解いてみる

前回源為朝の話をしましたが、歴史に興味がない人にとっては、「源なんとか」って多すぎて訳がわからんというのが本音でしょう。そこで、源氏を紐解いてみます。

以下は、重要な人物にしぼった源氏の簡略化系図。それでも名前が似ているので、
わかりやすいようにNHK大河ドラマ『平清盛』(2012年)に登場したキャストを使ってみました。
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臣籍降下で「源氏」が誕生
源氏も平氏も藤原氏も元を辿れば天皇や皇族になります。平安時代に入ると、皇族が増えすぎてしまい、朝廷の財政が圧迫されていました。そこで実施されたのが臣籍降下(しんせきこうか)。皇族から離れて自分で稼ぎなさいねということで、要するにリストラ策です。そこで、姓を与えられ臣下の籍になったものたちが、源氏、平氏、藤原氏、橘氏というわけです。

ただ一口に源氏といってもルーツとなる天皇ごとに異なり、源氏二十一流と言われるほど多いのです。
ただ、鎌倉幕府、足利幕府を作った清和源氏が最も隆盛を誇ったので、「源氏=清和源氏」といっても過言ではありません。その清和源氏もさらに河内源氏や摂津源氏などと細かく分派していきますが、ここでは省略します。


嵯峨源氏と村上源氏
清和源氏以外で重要な源氏は嵯峨源氏と村上源氏です。
嵯峨源氏は嵯峨天皇(52代、786年〜842年)の子孫たちで、最初に源氏を名乗った一派です。重要人物としては左大臣・源融(みなもとの とおる、822年〜895年)がおり、平安初期には朝廷の一大勢力を形成しました。しかし、その後の子孫たちはぱっとせず、地方に土着として武家となりました。

村上源氏は村上天皇(62代、926年〜967年)の子孫たち。武家のイメージが強い源氏ですが、この村上源氏は別。「公家源氏」と呼ばれ、貴族を輩出してきました


八幡太郎義家
源氏の多くはすっかり地位が低くなってしまいますが、台頭の基盤を作ったのが「八幡太郎」の通称で知られる源義家(みなもとの よしいえ、1039年〜1106年)。東国で武名を轟かせ、白河法皇の意向で院昇殿を許されました。武士の時代の到来を告げる出来事の一つです。


清和源氏、ドン底の時代
八幡太郎義家が立てた武功も、その子・義親(よしちか、?〜1108年)が略奪や殺人を犯したおかげで台無しになります。義親は平氏に討伐され、以降は平氏が台頭します。義親の子・為義(ためよし、1096年〜1156年、演:小日向文世)は出世に恵まれず、さんざんな人生を送ります保元の乱(1156年)では崇徳上皇方について敗北。子の義朝(よしとも、1123年〜1160年、演:玉木宏)に斬首されました。

しかし義朝も出世には恵まれませんでした。すでに平清盛が台頭していたため、彼の出る幕はほとんどなかったのです。起死回生を狙った義朝は、公家たちのクーデターに参加。これが平治の乱(1160年)です。しかし、義朝はこの戦いに敗北し、戦死します。

この敗戦により源氏の関係者が処刑されるなか、源頼朝(よりとも、1147年〜1199年、演:岡田将生)は奇跡的に助命され伊豆に流されます。そして、平清盛率いる平家の時代が到来。一方の源氏はまさにドン底の時代でした。頼朝は伊豆で幽閉され、監視役が北条時政(1138年〜1215年、演:遠藤憲一)でした。しかし、あろうことかその娘の政子(1157年〜1225年、演:杏)が頼朝と恋に落ち、2人は結婚します。時政は立場的にもかなり頭を痛めたでしょうね。とはいえ、この北条時政が鎌倉幕府成立後は暗躍しまくります


頼朝の挙兵により源平合戦へ
隆盛を極めた平家でしたが、「奢れる者は久しからず」。平家に不満を持つ勢力に後押しされて、源氏の棟梁・源頼朝が挙兵します。この挙兵に加わったのが、異母弟の源義経(よしつね、1159年〜1189年、演:神木隆之介)や「木曽義仲」で知られる従兄弟の源義仲(よしなか、1154年〜1184年)などでした。ちなみに、義仲の父である義賢(よしかた、?〜1155年)は、後継問題で対立していた兄・義朝の謀略で殺されています。義仲にとって頼朝は父の敵の子ですが、源平合戦では頼朝に協力します。

1181年に平清盛が死去してから平家は一気に弱体化します。1183年には源義仲に破れて京都が攻略され、平家は西国に落ち延びて行きます。しかしその後、義仲は傍若無人な態度を取り続けたため、頼朝の命を受けた義経軍に破れ討ち死にします。源氏が京都で内紛を起している間、平氏は西国で体勢を立て直します。それでも源義経が屋島の戦い、壇ノ浦の戦いで連勝し1185年に平家は滅亡します。


鎌倉幕府の成立と将軍家の断絶
両雄並び立たず。源平合戦で活躍しすぎた源義経は、頼朝にとって脅威となります。そして、1189年に奥州藤原氏とともに追討されてしまいます。対立勢力をすべて排除した頼朝は1192年に鎌倉幕府を成立させます。

1199年に頼朝が死去してからは、子の頼家(よりいえ、1182年〜1204年)が第2代将軍になります。しかし、この頃から北条時政が暗躍を開始。弟の源実朝(さねとも、1192年〜1219年)を担ぎ、頼家を伊豆に幽閉し、ついには暗殺してしまいます。そして実朝が第3代将軍になりますが、実権は北条氏が握りました。実朝も頼家の子・公暁に暗殺され、将軍家は断絶。以後、鎌倉幕府は執権北条氏によって動かされ、清和源氏はその影に埋もれていきます


足利氏によって室町幕府が成立
鎌倉幕府は長いこと執権北条氏によって独占されましたが、それも終焉のときがやってきます。八幡太郎義家の傍系だった足利氏が清和源氏の棟梁として台頭してくるのです。そして1333年、足利尊氏(1305年〜1358年)が鎌倉幕府を滅亡させ、1336年から室町幕府を成立させます。

室町幕府は内紛により終始安定しませんでしたが、それでも第3代将軍・足利義満(1358年〜1408年)のときは唯一安定していました。彼は清和源氏としてはじめて、村上源氏よりも上回る官位を獲得し、名実共に清和源氏をナンバーワンにさせました。そしてこれ以降、戦国時代には様々な武家が出現しますが、そのほとんどが源氏の後裔を称しました。
室町幕府はトホホな将軍が多すぎ!!


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posted by すぱあく at 15:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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