2013年03月18日

松本清張と北九州市

福岡県北九州市
県内に九州の中心地である福岡市があるため、どうしても地味な印象がありますが、
官営八幡製鉄所に代表されるように、日本の産業を支えてきた重要な都市です。
2006年に新・北九州空港がオープンしてからは、東京からのアクセスも便利になりました。

seityo.gifさて、北九州市は松本清張(1909年〜1992年)の故郷でもあります。

松本清張は、社会派推理小説の元祖ともいえる存在で、『点と線』
『砂の器』などは大ベストセラーになり、今日まで何度も映画・ドラマ化されています。

森村誠一も山村美紗も島田荘司も宮部みゆきも清張と直接的な師弟関係があるわけではありませんが、清張の影響を大きく受けています。というより、清張の影響を受けていない推理小説家はおそらくいないのではないでしょうか。

単に警察が犯人を追いかけるといったストーリーではなく、歴史や社会から生まれる矛盾や貧困、差別といった背景の中で、人間がどう行動したり、狂ったりするのかを冷徹に書ききる描写には、ときとして胸をえぐられます


松本清張は、福岡県企救郡板櫃村(現・北九州市小倉北区)生まれとされていますが、実際は広島市生まれとも言われています。
ただ、10歳頃から小倉に住み、そこで育ったため、小倉つまり北九州市に清張の原風景があるわけです

小倉を舞台にした代表的な作品といえば、なんといっても芥川賞受賞作(1953年)である『或る『小倉日記』伝』でしょう。これも胸を打たれる作品ですが、ぜひ多くの人に読んでもらいたいです。


時代は戦前で、主人公は田上耕作といいます。彼は生まれつきうまく話せないのと、片足が不自由な障害者です。
一見すると、阿呆に見えてしまう容貌でしたが、頭はバツグンに良く、学校の成績もつねにトップでした。

しかし、障害のせいで普通の仕事には就けません。父は10歳の頃に死去してしまい、耕作は母の手ひとつで育てられました。母は生涯、耕作の良き理解者でした。

母以外にも、耕作の聡明さを理解してくれる人は少なからずいました。一人は親友の江南。
もうひとりは、地元の資産家で大病院を経営している白川氏でした。
白川氏は図書館が開けるほど大量の蔵書を持っていたため、その目録作りを耕作にやらせました。
極貧で本に苦労していた耕作は、ここで知識の海にどっぷり浸かります。
そして、森鷗外が小倉に赴任していた3年間の日記、人呼んで『小倉日記』が紛失していることを知るのです
これは歴史的事実で、森鷗外は日清戦争後の1899年から小倉に赴任しています。

本作の中では、『森鷗外全集』をまとめようとしていた東京の出版社も、この『小倉日記』を見つけ出そうと、専門家に頼んで百方探したものの見つからなかったことになっています。

kokura.jpgそこで耕作は、小倉での鷗外の足跡を辿り、鷗外ゆかりの人物を訪ね歩き、失われた『小倉日記』の空白を埋めることを自分の使命と考え、この研究に人生を掛けることを決意します。
ちなみに写真は、1993年にドラマ化されたときのもので、
筒井道隆さんが耕作を演じました。

ある日、耕作は調査の中で得た情報をまとめて、東京の鷗外研究家に手紙を出しました。
なぜ出したか?
自分がやっていることが意味があるのかわからなくなったから、研究家に判断してもらうことにしたんです。
お金にもならない、地位が上がるわけでもない、名誉が得られるわけでもない。
でも、自分にとっては意味があると思う。だからやる。でも、自信がない・・・。

この気持ち、痛いほどわかります。

また、この耕作の孤独な調査のなかで、協力してくれる女性が現れます。白川氏の病院に勤務する看護師のてる子でした。てる子は美人で明るく、耕作にとってはまぶしい存在でした。
しかし、障害を持つ耕作にとっては高嶺の花でした。この当たりの描写も胸をえぐられるほど切ないです。

やがて太平洋戦争に突入し、食料も乏しくなると耕作の病状は悪化します。結果的に10年を費やした鷗外研究でしたが、日の目を見る前に耕作は息を引き取ります。

その後、なんと東京で『小倉日記』が鷗外の子息によって発見されるのです。
田上耕作が、この事実を知らずに死んだのは、不幸か幸福か分らない。

という一文で物語は終わります。切ない。あまりに切ない物語でした。

はたして、田上耕作の人生は徒労だったのでしょうか。
否、決してそんなことはないと思います。

人間は金持ちでも、皇帝でも、100人子供を作っても、いずれにしても死ぬんです。
これは誰も逃れられない宿命です。

逆に言うと、貧困でも、差別されても、学歴がなくても孤高に生き抜こうとすれば輝きを増すのです
私が読んできた文学作品の多くには、その主張が貫かれていたと感じます。

漫然と生きていれば、それはある意味「生きていても死んでいる」のと同じです。
それを思えば、耕作の人生は輝いていたのではないでしょうか。

松本清張も貧困のせいで、まともな学歴がなく成長しました。
しかし、誰よりも努力し、戦後を代表する文豪になったのです。
だからこそ、淡々として冷徹な文章なのに、魂を揺さぶられるのです。


さて、北九州市を訪れたなら、ぜひ「松本清張記念館」を訪れてください。
北九州市立の記念館ですが、行政が造ったものにありがちなハコモノでなく、清張愛に溢れた作りになっています。
遺族から寄贈されて再現した書斎や書庫・応接間などはファンには堪らないでしょう。


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posted by すぱあく at 21:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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