2011年07月09日

さかのぼりスペイン史1 ボルボン朝の王政復古

日本のメディアにおけるスペインの情報はごくわずかといえます。
サッカー(リーガ・エスパニョーラ)、厳しい経済状況、ラテン系の明るい国民性、マドリードやバルセロナといった観光地の情報が主ですね。

また、一般的に高校の世界史は、近現代史の部分を非常に早いテンポでこなします。その中でもスペインの近現代史は重要度が高いとはいえません。ですから、スペイン王政復古の経緯は日本ではほとんど知られていません。

まず、現在のスペイン王は誰でしょうか?
CarlosI.jpgフアン・カルロス1世、この方です。1938年生まれ、今年で73歳になります。
王家はボルボン家。ボルボンとは、ブルボンのスペイン語読みで、フランス・ブルボン朝の末裔です。ヨーロッパの各王室は国を跨いで政略結婚を繰り返してきましたから、このようなことは珍しくないんですね。

1975年11月20日、独裁政権を率いていたフランシスコ・フランコが死去すると、フアン・カルロス1世はフランコの遺言に従って11月22日にスペイン王として即位しました。

独裁者フランコ総統はなぜ王政復古を目指したのでしょうか?

まず、フアン・カルロス1世の生い立ちを見て行きます。
彼の祖父であるアルフォンソ13世の頃までは、まだスペインは王制でした。しかし、王制打倒を目指す共和派は民衆の支持を集めるようになり、1931年の選挙で躍進します。このような情勢下、国王アルフォンソ13世は退位へと追い込まれ、無血革命による第二共和政が成立しました。退位したアルフォンソ13世は家族とともにイタリア王国のローマへ亡命します。
そして、亡命先のローマでフアン・カルロス1世は、バルセロナ伯爵フアン(アルフォンソ13世の四男)の長男として誕生します。

さて、共和政となったスペインですが、政治的対立が続発しまったく安定しませんでした。失業者は増える一方で、激しいデモやテロが各地で起こります。
政権もコロコロ変わり、民衆は議会制民主主義に失望し、ファシズム政権への期待が高まります。

今の日本の政治も迷走しまくっていますね。こうした失望感がファシズムやナチズムの台頭を招いたというのもなんとなくわかります。「大連立でも、独裁でもいいから原発なんとかしてくれよ」というのが、今の日本人の声ではないでしょうか。

さて、話を戻しますと、1936年7月「もう今の政府はダメだな」と見切りをつけた軍部がクーデターを起こします。その中心人物がフランシスコ・フランコ将軍でした。
反乱はスペイン全土に及びます。これが1939年4月1日まで続いたスペイン内戦です。
このスペイン内戦は、大変に濃い内容なので次回に詳しく述べます。

1939年、フランコ側の勝利によって第二共和政は終焉を迎え、フランコを国家元首(総統)とする独裁体制ができあがります。第二次世界大戦では中立を維持し、戦後も唯一のファシズム国家として存続します。

一方、フアン・カルロスが亡命していたイタリア王国は、第二次世界大戦では戦敗国となります。ムッソリーニは処刑され、国民の信頼を失った王家は、国民投票の結果を廃位が決定します。フアン・カルロス一家は、共和制イタリアに留まることができなくなり、1948年にスペインに戻ります。
それを迎えたのがフランコでした。フランコはフアン・カルロスを次代の指導者とするべく教育を受けさせます。

従来のフランコ像は、スペインを苦しめた独裁者というマイナスイメージが強くありました。とくにピカソの「ゲルニカ」ヘミングウェイの「誰がために鐘は鳴る」といった作品がそれに拍車をかけました。
しかし、単なる独裁者だったら、自分の一族を後継に据えたのではないでしょうか。事実、サダム・フセインや金日成といった独裁者はそのようにしています。
わざわざ、失脚した王家の人物を教育したりするでしょうか。

やはり、近年になってフランコの再評価が始まっています。色摩力夫氏の『フランコ スペイン現代史の迷路』(中公叢書)が詳しいです。
本書によると、フランコは政権のあり方について、最終的には王制に移行するべきだと考えたようです。そもそもスペインという国は、無敵艦隊の没落後、何百年にわたって内紛を繰り返してきました。国内に統一感がなく、議会制民主主義も結局うまく行きませんでした。「この国は王制が最良かもしれない」とフランコは考え、フアン・カルロス1世を迎え王政復古することを遺言に盛り込みました。

実際、フランコという人物は、ドラマティックな要素がほとんどないおもしろくもおかしくもない人物だったようです。「私がフランスそのものだ」と言って常にドラマティックだったシャルル・ド・ゴールと全く対照的です。
ただ、典型的な武人で、彼自身は私利私欲に走らず清廉潔白であったとか。マシーンのごとく仕事を行い、事実仕事はできる人物でした。
スペイン近代化の礎を築いたことは、とくに再評価されているようです。

さて、1975年にフアン・カルロス1世は即位し、ボルボン朝が復活します。フランコの元で帝王学の教育を受けていたこともあり、そのまま独裁体制を取るかと思われていましたが、即位後は一転して政治の民主化を推し進め、急速に西欧型の議会制民主主義および立憲君主制国家への転換を図ります。
1978年に議会が新憲法を承認し、正式に民主主義体制へ移行します。
このスムーズな民主化は「スペインの奇跡」と呼ばれました。

f1.jpgところでフアン・カルロス1世は、かなりのスポーツ好きです。なんとヨットの代表選手としてミュンヘンオリンピックに出場(1972年)したこともあります。
そういえば、麻生太郎元首相もモントリオールオリンピック(1976年)にクレー射撃の日本代表で出場していましたね。

また、F1やMotoGPなどのモータースポーツの大ファンで、スペインGPには毎年来場しています。写真はスペイン人のトップF1ドライバーフェルナンド・アロンソを祝福するフアン・カルロス1世。

spain.jpg2010年南アフリカワールドカップでスペイン代表が優勝したときは、代表選手たちに「スペインおよびスペイン国民の名において、チャンピオンたちにお礼を述べる」と言葉をかけたそうです。

このときのスペインのプレイは素晴らしかったですね。初戦でつまずきましたが、その後は抜群の安定感と組織力で初優勝を果たしました。

さて、次回はスペイン内戦について見て行きます。それでは、また。



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posted by すぱあく at 23:53| Comment(0) | TrackBack(0) | スペイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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