2011年02月08日

浄土真宗4 信長との戦い「石山合戦」

織田信長 VS 一向宗(浄土真宗)の「石山合戦」とは何か。

この頃の一向宗の法主は顕如(第11世)で、大阪の石山本願寺を本拠地としていました。信者は全国に急速に増え、その力は大名すら滅ぼせるほど強大になっていたのです。

一方、織田信長も畿内を制圧し、征夷大将軍となった足利義昭と対立するほど力をつけていました。このとき足利義昭は一向宗に味方になってもらうように頼み、それに呼応した顕如は1570年に信長を攻撃し、「石山合戦」がはじまります。

この戦いは顕如たちが石山本願寺に立て篭もり10年間続きます。過去に幾度も本拠地を焼き討ちされた経験から、一向宗は石山本願寺を難攻不落の要塞にしていました。そのため、これほど長期の戦になったのです。

信長はご存知の通りの性格ですから一向宗に容赦なく、同時期に起こっていた長島や越前における一向一揆では信者を皆殺しにしました。さて、越前一向一揆の鎮圧で功を上げたのが、あの前田利家です。このときの利家は、柴田勝家の与力にすぎません。しかし、「捕らえた一向宗千人ばかりをはりつけ、釜茹でに処した」と記録にあるほど苛烈な弾圧をし、これが功績として認められ、大名への道を歩むことになります。

話はちょっと脱線します。前田利家を主人公にした大河ドラマ『利家とまつ』でも、この弾圧シーンが描かれています。しかし、NHKという公共放送のドラマの主役ですから、ヒトラーなみの虐殺者としては描けません。そこで、ドラマの利家(唐沢寿明)は弾圧に躊躇する心優しいキャラクターとして描かれました。しかしある日、僧侶たちの堕落を見て弾圧を決定します。「僧侶の分際で『肉食妻帯』とは何事か。成敗いたす」と。ん? ちょっと待って。一向宗は宗祖の親鸞が「肉食妻帯」して以降、弟子や子孫たちもそれに従ったわけで、堕落の結果が「肉食妻帯」ではないので、ご注意ください

話を戻し、石山合戦の顛末について述べます。1580年、戦が長引くことを懸念した正親町天皇が仲裁を提案します。両者はこれを受入れ、本願寺側が武装解除し、顕如が石山を退去することで石山合戦は終結します。この後、豊臣秀吉が天下人になった際、京都に土地を与えられ本願寺が再建されます。

信長が宿敵 本願寺顕如 [単行本] / 鈴木 輝一郎 (著); 毎日新聞社 (刊)それにしても、あの信長と10年にわたって戦うとは、顕如という人物は相当なものです。ここでトリビアをひとつ。顕如の妻である如春尼は、公家の三条公頼の三女です。ちなみに長女は武田信玄の妻となった三条の方(大河ドラマ『風林火山』では、池脇千鶴さんが演じていました)です。

センゴク(7) (ヤングマガジンコミックス) [コミック] / 宮下 英樹 (著); 講談社 (刊)また、彼を主役にした『信長が宿敵 本願寺顕如』(鈴木輝一郎)という小説もあります。その他、前に紹介したマンガ『センゴク』(宮下英樹)でも強烈なキャラクターとして登場します。表紙の人物が顕如です。宗教の教祖というカリスマ性を出すために、なんとミック・ジャガーをモデルにしたそうです。

さて、顕如の後、ついに本願寺は東西に分裂します。分裂の影には徳川家康が・・・。続きは次回。



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ラベル:仏教 戦国時代
posted by すぱあく at 07:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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