2008年01月01日

プロフィール

1975年 埼玉県生まれ
父が大の歴史ファン。本棚には司馬遼太郎、吉川英治、三国志、水滸伝、シルクロードなどがたくさんありました。その影響で自分も歴史が大好きになります。
 ・都市遺産 おもちゃのハローマック
 ・『バタリアン2』 同時上映 『ドン松五郎の大冒険』
 ・チーム八部衆で一人だけ有名な阿修羅


1988年 中学入学
クラスで横山光輝の『三国志』が大ブームになります。それ以降、中国史にはまっていきます。
社会と国語は得意だった反面、理科と数学は大変苦手でした。それでも高校は、なんとか希望する進学校に合格できました。
 ・『ゴッドファーザー』中二病


1991年 高校入学
高校でよく読書するようになります。同時に体を鍛える目的で陸上部に入りました。文系が得意で、理系がダメなのは変わらず。よって試験科目に理系がない私立大学に絞ります。「歴史が好き」というそれだけの理由で史学科がある大学をいくつか受験し、希望する大学の史学科(中国史専攻)に合格できました。
 ・マンガ化&アニメ化で話題再沸騰中の『アルスラーン戦記』
 ・孤独や社会と向き合う『長距離走者の孤独』
 ・市民ランナーの星・川内優輝氏2 問われる箱根駅伝の存在意義


1994年 大学入学
大学の授業は、古代中国の歴史書である『史記』や『漢書』を読むという授業でした。研究者の卵を対象にしたかのようなハイレベルさで、私はすぐに授業についていけなくなります。別に本格的な研究者になりたかったわけではないので、興味が持てなかったんですね。
 ・オタク文学部生が憧れそうな職業・キャラクター
 ・「Englishman In New York」―スティングとジャズ
 ・国境が一瞬で無くなる感覚の『恋する惑星』

加えて学生時代は、目前に迫った「社会に出る」ということに怯えていました。当時の私には明確な目標を見つけることができていなかったのです。「有名企業に入りたいわけでもない。偉くなりたいわけでもない。金持ちになりたいわけでもない。じゃあ何のために生きているんだろう。何のために生きていくんだろう」なんてことを考えていました。
そして、漠然と「中国とか歴史とか、そういうものに関わりながら生きていけないものかな」と考えていました。
しかし、就職ノウハウ本を読んでも、それへのアドバイスは当然載っていません。“悩める文学部生”はなかなか出口が見えませんでした。
 ・本が「仕事の悩み」を救ってくれる1
 ・本が「仕事の悩み」を救ってくれる2
 ・ナランチャから生きる勇気をもらった ― 『ジョジョの奇妙な冒険』

そんな“悩める文学部生”の転機は1996年、大学3年のときの中国・北京旅行でした。私はこれが初めての海外旅行です。にも関わらず、チケット買っただけの一人旅でした。当時は中国語は一切話せません。ちょっとした冒険です。ただ、その頃は将来のことに行き詰っており、「何か打開したい」という気持ちが強かったのだと思います。
イザ中国に行ってみたら何も怖いことはなく、自力でバスに乗って万里の長城に行くことができました。さすがにナマの長城は違うと大感動しました。

この経験は“悩める文学部生”に自信を与えてくれます。帰国後は、本格的に中国への長期留学を計画します。資金がないので、卒業後は就職することにし、3年目で辞めようと心に決めました。
これまでは受け身でただ悩んでいた自分でしたが、以後は挑戦的な生き方をしていきます。


1998年 就職
事務機器の営業会社に就職し、しかも飛び込み営業を行います。“悩める文学部生”がいきなり飛び込み営業ですよ。しかし、私はどうせ3年で辞めるのだから、今しか経験できないことをしておこうと決めて就職したのです。この決断は正解でした。
営業はたしかに大変な仕事ですが、一度身に付けたら一生モノです。資格よりもはるかに大事なスキルだと思います。しかも、この営業スキルを身に付けようと思ったら、「会社」に入るしかないのです。学校では教えませんからね。
結果、私は同期入社でトップの営業成績となり、翌年の入社式で先輩社員代表としてスピーチをする機会をいただきました。
 ・『入社3年目までに勝負がつく77の法則』
 ・「君っ、サッカーじゃない。フットボールと言いなさい」
 ・埋もれさせてはいけない『彼女たちの時代』

当時の給料はほとんど貯金し、留学資金としていました。社会人3年目になるときには、目標額に達します。そして、中国留学のために必要な書類手続をすべて終え、あとは会社を辞めるだけとします。
直属の上司に辞めることを告げたらビックリしていました。今まで辞める素振りを露ほども見せていなかった部下がいきなり「辞める」と言い出したのだから、当然かもしれません。さらに辞める理由を聞かれたので、私は隠すことなく「中国に留学に行きます」と話しました。すると、“まったく理解不能”という感じでした。今の中国だったら、こういう反応はされないと思います。しかし、当時の中国はオリンピックの開催すら決定していません。日本ではまだ「中国は遅れている国」というイメージが強かったので、このような反応が普通でした。


2000年 中国に長期留学
北京語言大学に語学留学をします。留学生宿舎で韓国人の若者と同部屋になりました。いきなりの異文化コミュニケーションです。はじめこの韓国人とは仲良くやっていましたが、仲良くなるにつれ、酒宴に誘われる回数が激増していきます。もともと酒に強くない私は、さすがにダウンします。以降、韓国人社会とは距離を置くようにしました。でも、この経験はとても貴重なものになっています。

留学中に日常会話ぐらいはマスターできました。HSK中等を取得できましたので、とりあえず目標達成です。
中国で生活できたことは非情に大きかったです。「細けぇことはいいんだ、とにかく進め」中国のパワフルさはそんな感じでした。留学中に仲良くなった友人たちは今も大事な仲間です。


2001年 帰国後、出版社に就職
中国関連の記事を扱う都内の出版社に就職します。このとき私は、給料よりも経験値を上げることを優先します。中国語がちょっと話せるだけではダメだと思ったからです。社会での経験、そして文章力を鍛えようと考えました。

ここでの仕事は昼も夜もなく、盆暮れもない超激務でした。加えて、超薄給。ほとんど会社に住んでいるような生活でした。しかし、「人と違うことに臆してはいけない」と言い聞かせて、ひたすら「修行」していました
 ・「とにかく本が好き」という因果な業を持った出版業界で働く人々
 ・ビートたけし 『浅草キッド』

この激務を10年続けます。嫌なこと、辛いこともたくさんありました。しかし、結果的に私はスーパータフな精神力と体力。中国でのビジネス経験。文章力。DTPを含めたIT力を身に付けます。これを普通の生活の中で身に付けようと思ったら30年はかかると思います。その一方で、私も少しずつ普通の生活を取り戻している最中です。


2011年 東日本大震災発生!! 独立開業
東日本大震災発生!! 会社のビルがボキッと折れて、そのまま死ぬんだろうなと本気で思いました。同時期、両親&祖父の住む茨城県北が大変なことに(※実家は数年前に埼玉県から茨城県に移動していた)。
修業時代を過ごし、愛憎・悲喜こもごもあった出版社を退職し、茨城県に移住します。
 ・とりあえず無事ですから

個人事務所を作って原稿や翻訳の仕事をしたりして、異郷の地でなんとか足がかりを築いていきました。

しばらくしてから、個人事務所を法人化。学生時代の悩み「有名企業に入りたいわけでもない。偉くなりたいわけでもない。金持ちになりたいわけでもない。じゃあ何のために生きているんだろう。何のために生きていくんだろう」のとりあえずの答えがコレです。超の〜んびりと己の道を歩んでいます。
posted by すぱあく at 00:00| Comment(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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