2020年12月16日

ようこそ「歴史放談」へ

time.jpg学校で習う「歴史」は、覚えることが盛りだくさん。あれでは歴史がキライになりますよねぇ。でも、歴史を知ると想像の翼を広げてタイムトラベルできるのです。
このブログでは、小説やマンガ、映画などを「歴史の入口」にして、歴史に親しめる工夫をしています。一人でも多くの人に歴史の楽しさを味わってもらえれば幸いです。


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2020年03月29日

展示手法がポップなプラハの「共産主義博物館」

新型コロナウイルスの影響でしばらくは海外旅行に行くことはできないと思いますが、もしも、いずれチェコ共和国の首都プラハを訪れることがあれば、ぜひ立ち寄ってほしい施設があります。
それが「共産主義博物館」公式サイト)です。

(○´∀`)ノ「共産主義だって?誰がそんなマニアックなところに行くんだよ!」と突っ込まれそうですね。たしかにプラハ城やカレル橋、旧市街広場、ストラホフ修道院などなど、百塔の都には見所がいっぱい。何を好き好んで、暗い時代の遺産である「共産主義」を見に行かなくてはならんのだと思うでしょう。

でもね。ぜひ騙されたと思って行ってみてください。私も友人に勧められて行きました。展示手法がとてもポップなので、誰でも楽しめるはず。実際、若い人も結構訪れていました


communism01.JPG●規模は小さいながら、貴重な展示物が豊富
共産主義博物館はプラハの中心街から近く、火薬塔や市民会館などの名所がある共和国広場に面しています。1階にスーバーBILLAがある白い建物で、入口で380コルナ(約2000円)払って2階に上って入場します。うーん入場料、結構高いな ((+_+))。クレジットカードOK、ユーロは不可です。

さて博物館に入ると、いきなり入口からデデーン!!と
ビッグな赤い星とマルクス像が出迎えてくれます!! 
運営者は絶対に狙って展示していますよね、コレ。(;^ω^)

この博物館はアメリカ人実業家が私財で開設した経緯があるため、政府系博物館のような堅苦しさがありません。そのため、こういう冗談なのか本気なのかわからない展示がいくつもあって面白いです。

そもそもチェコ人にとって共産(社会)主義時代(1948年〜1989年、当時の国名はチェコスロバキア)は重苦しい思い出しかなく、本来ならば忘却したい時代のはず。しかし、このポップな展示手法によって重苦しさは中和されており、楽しみながら過去の歴史を学ぶことができます。

下は館内の様子。若い人が多く見に来ていることに驚きました。こちらのコーナーでは共産主義時代のレジャーやスポーツについて展示・説明しています。旧ソ連を筆頭に共産主義陣営は、アメリカなどの資本主義陣営に対抗するためスポーツを国威発揚としてよく利用していました。

communism02.JPG


写真左下は共産主義時代の教室を再現したもの。
写真右下は国境警備の様子。もしも国境を越えて資本主義諸国に行くヤツを見つけたら、
そのときは容赦なく・・・(((( ;゚Д゚)))
communism03.jpg


●迫真の資料多数、「プラハの春」&「ビロード革命」
写真下は1968年に起こった「プラハの春」を象徴する一枚の写真。ソ連軍の戦車がプラハの街を制圧した一コマです。
1968年4月、共産党第一書記になったドプチェクは「人間の顔をした社会主義」を掲げ、「プラハの春」と呼ばれる改革運動を実施。検閲の廃止などを行いました。この改革に、それまで抑圧されていたチェコスロバキア国民たちが大いに期待したのは、言うまでもありません。

ところが8月、ソ連軍主体のワルシャワ条約機構軍が軍事介入し、チェコスロバキア全土を制圧してしまいます。ソ連の圧力でドプチェクは辞任に追い込まれ、「プラハの春」は崩壊。チェコ国民は、再び絶望的な時代を生きるはめになったのです。
communism04.JPG


そうした長く暗い時代にも、ついに終止符が打たれるときがやってきます。まず大ボスであるソ連にほころびが出始め、1985年にペレストロイカと呼ばれる政治改革が始まります。そして1989年11月、ベルリンの壁が崩壊。その後は堰を切ったように、目まぐるしく状況が変化。中欧・東欧のほとんどの共産主義陣営が、共産党一党独裁を放棄しました。

チェコスロバキアでも民主化を求めるデモが相次ぎ、ついに12月、共産党政権が打倒されます。この革命は大きな流血に至らずに成し遂げられたため、軽く柔らかなビロード(ベルベット)の生地にたとえて
「ビロード革命」と名付けられました。

写真下は「ビロード革命」の中心人物となったヴァーツラフ・ハヴェル(1936年〜2011年)です。劇作家として大成しましたが、「プラハの春」崩壊後に反体制運動の指導者として活動。何度も当局に逮捕・投獄されながらも「ビロード革命」を成し遂げ、大統領に就任します。
communism05.JPG


この他、館内には映画室もあり、ビロード革命時のプラハの様子が上映されています。デモ隊を威嚇する警官たち、それに抵抗する民衆たちの姿。当時の息遣いが感じられて鳥肌が立ちます

またお土産コーナーでは、共産主義を礼賛した当時のプロパガンダ・ポスターなど、ネタ好きにはたまらない逸品が売られています。

そして極めつけはコレ! レーニンとスターリン像なんとトイレの横に置かれているんです。共産主義なんてもうこりごり、「お前らなんて、便所がお似合いだぜ! (# ゚Д゚)」というメッセージなんでしょうか?
communism06.JPG


(;^ω^) とっ、とにかく共産主義博物館オススメですよ!


外交官として実際に「プラハの春」に直面した経験に基づいて書かれた小説。宝塚歌劇にもなりました。

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posted by すぱあく at 20:32| チェコ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月21日

ワンちゃん好きは号泣必至の『The Art of Racing in the Rain』

The-Art-of-Racing-in-the-Rain.jpgこの映画は良かったです。まさに「全米が泣いた」
(ノД`)・゜・
『The Art of Racing in the Rain』(2019年)。
日本未公開ですが、サブスクでのデジタル配信はされています。邦題は『エンツォ レーサーになりたかった犬とある家族の物語』

主人公はワンちゃんです。名前はエンツォ。彼の目から見た人間社会をモノローグで語っていく物語です。声はなんとケビン・コスナー犬にずいぶんと豪華なキャストを当てたもんです

彼は子犬のときに、飼い主となるデニーと出会います。そしてデニーと生活していく中で人間社会を学んでいきます。

デニーはプロレーサー。F1を目指しており、それなりに好成績ですが、色々なトラブルに見舞われて一進一退。それでも側には、いつも忠犬エンツォがいました。

時が経つにつれ、デニーはイブという美しい女性と結婚。そして可愛い女の子も生まれます。家族3人と一匹の楽しい日々。ところが、それも長続きしません。様々な不運が家族を襲います

それでも、困難に立ち向かうデニー。くじけそうなときにも側にはエンツォがいました。

そんなエンツォとも別れがやってきます。犬は人間よりは長く生きられませんから・・・。そんなラストシーンに号泣せずにいられるでしょうか。もう画面が涙でまったく見えませんよ

John.png私も犬を飼ってましたらね。ジョンという名の柴犬でね。小学生になったばかりの頃、子犬だったジョンが我が家に来ました。だから、一緒に大きくなったわけで、もう家族の一員でした。

悩みがあるときは、ジョンと散歩に行くと悩みがどうでもよくなったもんです。しかし、高校生のときに老衰で天国に行きました。

あぁジョン・・・(ノД`)・゜・。おやっ、これはジョンの写真じゃないか!!


本作はワンちゃん好きはもとより、誰が見ても感動することでしょう。


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posted by すぱあく at 13:11| 映画・ドラマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ハプスブルク家の風格漂う立喰そば

立喰そば「ういーん」

soba-vienna.jpg


うーん、ハプスブルク家の風格、モーツァルトの調べが聞こえてくるようだ!
(^▽^)

ちなみに、JR鶴見駅前(横浜市)にあります。



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posted by すぱあく at 08:00| 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月20日

超ざっくりハプスブルク家の歴史を紹介!(後編)

habsburg03.jpg写真はウィーンの中心地にあるホーフブルク王宮。神聖ローマ帝国およびオーストリア帝国、つまりはハプスブルク家の政治の中心でした。

観光名所となっている現在でも敷地内の建物は大統領公邸や国立図書館、シシィ博物館などとして利用されています。


●盟主の座をプロイセンに奪われる
さて、「ドイツ連邦」の盟主となったオーストリア帝国でしたが、負け戦が続きます。クリミア戦争で外交的に失敗し、1859年にはサルデーニャ王国(イタリア王国の前身)に敗北。極めつけは、1866年の普墺戦争においてライバルのプロイセン王国に大敗。ドイツ連邦から追放され、盟主の座を完全にプロイセン王国に奪われてしまいました


●民族問題の妥協策としてオーストリア=ハンガリー帝国が成立
力を大きく低下させたハプスブルク家に、もうひとつ頭の痛い民族問題がのしかかります。オーストリア帝国の領土は現在のチェコ、スロバキア、ハンガリー、旧ユーゴスラビアなどに及んでおり、各民族は自治や独立を望んでいたのです。

その結果、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世はハンガリー人に対する妥協(アウスグライヒ)を優先し、1867年にオーストリア=ハンガリー帝国が成立しました。


●深まる民族問題が発展し、第一次世界大戦勃発
しかし、これ以後も帝国内の民族問題は深刻さを深めていきます。1908年、オスマン帝国からボスニア・ヘルツェゴビナを奪取し併合した結果、セルビア人やムスリムらの反感が高まります

そして1914年、オーストリア皇位継承者夫妻がボスニアの州都サラエボでセルビア人青年に暗殺されるサラエボ事件が発生します。報復としてオーストリアがセルビアへ宣戦布告したことをキッカケに戦火が全世界に飛び火し、第一次世界大戦が始まってしまうのです

結局、オーストリア=ハンガリー帝国は敗戦し、1918年に帝国は解体。チェコスロヴァキア、ハンガリーなどが次々に独立しました。ハプスブルク家の最後の皇帝カール1世は亡命し、中欧に650年間君臨したハプスブルク帝国はここに崩壊。その後はオーストリア共和国となり、ハプスブルク家の入国は禁止されます


●ハプスブルク本家のその後
カール1世は亡命後も何度か返り咲きを狙いますが、その度に挫折。最後は島流しに遭い、そこで亡くなります。そのとき息子で元皇太子のオットー・フォン・ハプスブルクはまだ9歳でした。

その後、オットーは主にスペイン、ベルギー、ドイツなどで亡命生活を送ります。ナチス・ドイツが台頭した第二次世界大戦中は、オーストリア併合を阻止するために精力的に活動しましたが、協力者たちは次々にナチスにより殺害。やむなくオットーたちはアメリカまで亡命し、大戦末期にヨーロッパに戻りました。

終戦してから時代は下り、1961年にオットーはオーストリア帝位継承権の放棄を宣言して、ようやくオーストリア共和国に入国を許されます。その後は欧州議会議員を務めました。この頃親交のあった日本人が、「戦後のフィクサー」と呼ばれた田中清玄です
激動の人生を歩んだオットーは98歳で2011年に亡くなりました。


●現代を生き抜くハプスブルク家
habsburg04.jpgオットーの息子カール・ハプスブルク=ロートリンゲン(59歳、写真左)が、現在のハプスブルク=ロートリンゲン家の当主です。かつて父と同様に欧州議会議員を務めました。1男2女の子供がいます。

写真の子供たちも今は成長し、ユニークな経歴を歩んでいます。長女エレオノーレ(26歳、写真右から2人目)は美貌を生かしモデルに。長男フェルディナント(22歳、写真中央)はF3レーサーとして活躍しています。

なお彼らはハプスブルク=ロートリンゲン家の本家ですが、その他一門は500人以上もおります。きっとその多くは名士として活躍しているんでしょうねー。以上で中欧の華麗なる一族ハプスブルク家の歴史は終わりです。それでは、また!


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2019年12月19日

超ざっくりハプスブルク家の歴史を紹介!(中編)

●三十年戦争で求心力低下
神聖ローマ帝国内ではプロテスタントとカトリック勢力との戦いが激化。すると、その混乱はあれよあれよと拡大し、ヨーロッパ全土を巻き込む三十年戦争(1618年〜1648年)に発展します。

戦後、ウェストファリア条約(ヴェストファーレン条約)が結ばれ、神聖ローマ帝国内の領邦は国家のように格上げされます。戦国時代のように群雄割拠となり、領邦国家は最終的には300以上にも上りました。逆に皇帝位の威光は形式的なものに後退し、ハプスブルク家の求心力は低下。オーストリア大公国を中心とした支配体制に移行していきます。


●往時の栄華復興を願って、シェーンブルン宮殿を建設
1683年、オスマン帝国が第二次ウィーン包囲を仕掛けてきますが、ハプスブルク家を含むヨーロッパ連合はこれを撃退。ハンガリーを奪還し、威光を回復させます。

この後、ハプスブルク家は往時の栄華復興を願って、ウィーンに豪華な宮殿を建設しようと考えます。それが、現在ではウィーンを代表する観光名所となっている世界遺産シェーンブルン宮殿です。マリア・テレジアが当主のときに完成し、夏の離宮として使われました。

habsburg02.JPG

「シェーンブルン・イエロー」と呼ばれる黄色の外装が特徴です。この色は領内全ての国家建造物に適用されたため、当時は領内だったチェコやハンガリーにもシェーンブルン・イエローの建造物が残っています。


●プロイセンを警戒し、仇敵フランスに接近
さて、マリア・テレジアといえば、日本ではその娘であるマリー・アントワネットとセットで有名です。
『ベルサイユのばら』の影響ですね。彼女は男子5人、女子11人の計16人の子供を産み(多っ!)、マリー・アントワネットは11女になります。フランスのルイ16世に嫁ぎました。

前編で触れましたが、神聖ローマ帝国とフランスは長年の仇敵だったはず。なぜ、マリア・テレジアは大事な娘をフランスに嫁がせたのでしょうか? それは急に力をつけてきたプロイセン王国を警戒したためです

ウィーンから見たら遥かに辺境にあったプロイセンは、かつては国力も乏しい小国でした。しかし、三十年戦争などでヨーロッパ全土が荒廃したのに比べ、辺境だったプロイセンはほぼ無傷。そうして次第に頭角を現すようになったんですね。


●フランス革命勃発で、アントワネット処刑!
1780年、マリア・テレジアは63歳で死去します。死の間際まで、派手好みでわがままなマリー・アントワネットの身を案じていたそうです。しかしその心配は的中します。1789年にフランス革命が勃発したのです。

王政を否定したフランス革命はハプスブルク家に大きな衝撃を与え、プロイセンとともにフランスに出兵(フランス革命戦争)します。しかし、その最中の1793年にルイ16世に次いでマリー・アントワネットも処刑されてしまいました


●神聖ローマ帝国にとどめを刺したナポレオン
さらにフランスでは若き将軍ナポレオンがクーデターを起こしてトップとなり、様々な敵を蹴散らしていきます。オーストリアも完敗し、1806年、形式だけ残っていた神聖ローマ帝国はついに解体されることになりました

それでも、ハプスブルク家はオーストリアの皇帝として持ちこたえます。そして、オーストリアを盟主とした「ドイツ連邦」という連合体を形成します。しかし、その行く末には暗雲が立ち込めているのでした。この続きは、最終回となる後編にて!


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登場人物たちが名古屋弁で下ネタ全開で話しており、ハプスブルク家の歴史をおもしろおかしく紹介しています。

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