2012年05月22日

ナランチャから生きる勇気をもらった ― 『ジョジョの奇妙な冒険』

前回、学生時代に助けられた本のことをお話ししましたが、同じく助けられた「マンガ」もあります。
いろいろあるのですが、本日は『ジョジョの奇妙な冒険』をご紹介します。

熱狂的なファンが世界中にいる『ジョジョの奇妙な冒険』。
私も1987年の連載開始から現在の第8部「ジョジョリオン」まで、ず〜っとファンです。

このマンガの魅力については、様々なサイトが紹介していますから、記事の最後の外部リンクをご覧ください。
ここでは私が本当に救われたシーンをご紹介します。

前回でも述べましたが、学生時代とくに就職活動期には先のことがまったく見えずに苦しんでいました。
心は中国に留学したいのですが、踏み切れない自分がいました。
まわりの友人に相談しても、「あんな国に何しに行くんだ」と言われたりして、ますます落ち込みました。
今から15年以上前の中国に行くというのは、かなり“変人”の部類だったんです。

しかし、就職活動をしても全く身が入りません。この向こうに私が目指す人生があるとは、とても思えなかったからです。
そんなとき読んでいたのが『ジョジョの奇妙な冒険』第5部でした。
ジョルノ・ジョバーナが主人公のイタリア・マフィアの話です。
この第56巻に、一生私の心に残るシーンがあります。

ジョルノ一行はマフィア「パッショーネ」に所属していましたが、ジョルノたちのリーダーであるブチャラティはボスの行動に怒りを感じ、組織を裏切る決意をします。
裏切りは「死」を意味します。
リーダーのブチャラティは、部下たちにいいます。
「助け」が必要だ。ともに来る者がいるのなら・・・この階段を降りボートに乗ってくれ
jojo-p113.jpgただし、おれはおまえたちについて来いと「命令」はしない
いっしょに来てくれと願う事もしない・・・
おれがかってにやった事だからな
だからオレに義理なんぞを感じる必要もない

だが、ひとつだけ偉そうな事を言わせてもらう
オレは「正しい」と思ったからやったんだ
後悔はない・・・
こんな世界とはいえ オレは自分の『信じられる道』を歩いていたい!

ジョルノ、アバッキオ、ミスタは、組織に殺されるとわかっていてもブチャラティに「付いていく」ことを決断しました。
また、フーゴは「付いていかない」ことを決断しました。

それに比べて、ひとり決断できないナランチャ。
jojo-p118b.jpg

「行くべきか、留まるべきか」、悩むだけで結論が出せない彼の姿は、
将来のことを決断できない自分そのものでした。

当然、ブチャラティに言われてしまいます。
「来るな」ナランチャ・・・  お前には向いてない。

そして、ブチャラティ一行はフーゴとナランチャを置いて、ボートを出します。
置いていかれてしまったナランチャ・・・
ただ、うなだれ続け、後悔し続けるのかと思ったら、彼はついに行動に出るのです。

jojo-p124.jpg

ブチャラティィィィィィィィィ! 
行くよッ! オレも行くッ! 行くんだよォーッ!!

彼はなんと川に飛び込み、泣き叫びながら泳いでブチャラティたちに追いつこうとするのです。

jojo-p126.jpg
 オレに『来るな』と
 命令しないでくれーッ!

 トリッシュはオレなんだッ!
 オレだ!

 トリッシュの腕のキズは、
 オレのキズだ!!






そんな彼を見て、私は涙が止まりませんでした。


「生きることってこういうことじゃないのか」と思い知らされました。
 泣こうが、
 わめこうが、
 カッコ悪かろうが、
 その先に困難が待っていようが、そんなことは関係ない。


 とにかく飛び込む。
 追いかける。
 悩んで留まっていれば進まない。
 そして、いつまでも後悔する人生が待っている。


 飛び込むんだ。
 その先に何があってもいいじゃないか。
 人から笑われてもいいじゃないか。
 心から、そう思えました。

ナランチャから生きる勇気をもらった気分でした。結果的に、私は中国留学を実現することができました。
ナランチャに感謝、『ジョジョの奇妙な冒険』に感謝、
荒木飛呂彦先生に感謝
です。

あるファンが「震災が起きたら何を持って逃げるか?」という問いに、
『ジョジョの奇妙な冒険』全巻と答えていました。
お金より、何より、「ジョジョ」だというのです。冗談みたいだけど、きっと本気だと思います。
きっとこの人もこのマンガから勇気をもらった一人なのでしょう。すごく共感できます。


★外部リンク
集英社公式ジョジョサイト
荒木飛呂彦原画展 ジョジョ展 in S市杜王町
ジョジョ・コーナー/総目次  ・ジョジョ立ち教室  ・感涙名場面50選  ・ジョジョ美術館/本館
@JOJO(アットマーク・ジョジョ)―ジョジョの奇妙なニュース
ジョジョ百科事典
究極スタンド大全

タグ:マンガ
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2012年05月18日

本が「仕事の悩み」を救ってくれる2

私の友人に、「目指している大企業に入るため」に就職浪人までした人がいます。
彼の場合「その企業に入る」ことが主目的なので、そこまでできるのです。

気を付けるべきは、大手志向でないにも関わらず、「世間一般の価値観」に流されて大企業の面接→不採用を繰り返し、自信を喪失してしまう学生です。
そもそも、大企業に入ることだけが道なんですか?
一旦は「世間の常識」から離れてみましょうよ。

●「世間の常識」から一旦離れるための本
「自信が持てない人」の心理学 [単行本(ソフトカバー)] / 加藤 諦三 (著); PHP研究所 (刊)加藤諦三の本。
学生時代に最も助けられた本です。加藤氏は社会学者でラジオの悩み相談コーナーを30年以上にわたって続けている人です。「世間の常識」から一旦離れることができ、本当に心がラクになれます。
仕事は好きなもの、興味があるものから選ぶべきであって、自分のコンプレックスを埋めるために大企業を目指すのなら絶対にやめた方がいい。入社してから仕事が苦痛になるからだ。
 
あなたの寿命が尽きる時、天は「お前は三菱商事に入社できたか? トヨタに入社できたか?」とは問わない。ただ一言、「お前は満足な人生をおくれたか?」と問うのである。


生きる勇気が湧いてくる本 (祥伝社黄金文庫) [文庫] / 遠藤 周作 (著); 祥伝社 (刊)遠藤周作の本。
「沈黙」「海と毒薬」で有名な遠藤周作ですが、かなりの数のエッセイを書いています。テーマは人生・性愛・結婚・青春・仕事・宗教と幅広い割に、文章は難しくありません。誰でも読める人生指南書です。
夜というのが何のためにあるのだろうかと考えることがある。眠りというのが何のためにあるのだろうかと思うことがある。
だが明日という日が今日といういう日と違ってあればこそ、我々、生きている上で随分、助かっているようだ。今日、起こったいやなこと、不愉快だったこと、後悔の種になったことが、夜と眠りとの時間のくぎりのおかげで、どうにか鎮まり、やりなおしの希望がわいてくることがよくあるものだ。


新・メシの食える経済学―お金に恵まれる人生への手引き [単行本] / 邱 永漢 (著); グラフ社 (刊)邱永漢の本
“株の神様”、“お金の神様”として有名ですが、さまざまな企業の栄枯盛衰を見てきただけあって、就職や仕事に関するアドバイスは非常に参考になります。ちなみに、下記は昭和59年に出版された『努力しないで金持ちになる法』に書かれている内容です。今でも見事に通用することに驚嘆します。2012年5月16日、88歳で死去されました。氏の考え方はこれからの日本社会にとって、ますます重要になると思います。
今の一流企業が10年先も“一流”であるかなんて誰も保証できない。事実、私が若い頃の一流企業といえば「鉄鋼業」だったが、今の斜陽ぶりはご存知のところ。
逆に「株屋」とバカにされていた証券会社が“一流”になった。でも、さらに10年後はどうなっているか、わからない。
こんなこと、誰が考えても当たり前のことなのに、いざ就職となると、皆今の一流企業を目指してしまう。



これより以下、各本の紹介はブックレビューのコーナーにて。

●オススメのビジネス本
・中谷彰宏 『入社3年目までに勝負がつく77の法則』
・オバタカズユキ 『何のために働くか』
・栢野克己 『弱者の戦略』
世界を旅する年収1億スーパーアフィリエイター川島和正の本
・兼元謙任 『元ホームレス上場企業社長のリアルな「お金」の話』
ビジネス本や経営者の本は無数にあるのでどれを読んでもいいと思います。何冊か読めば、きっと自分にピッタリのものが見つかるでしょう。大手志向でない学生、中小企業経営者は『弱者の戦略』は必読の書です。


●タレントやミュージシャンたちの本
・ビートたけし 『浅草キッド』
・ウェンズリー・クラークソン 『スティング―孤独のメッセージ』
どんな大物も、はじめは無名の素人だったんです。彼らが転機となるときにどういった行動に出たかがとても参考になります。


●ときにはテキトーに考えるための本
・高田純次 『適当教典』
・大槻ケンヂ 『のほほん雑記帳(のおと)』
あまり考えすぎると、おかしくなりそうなときがあります。そんなときこれらを読めば、悩むことさえバカらしくなします。爆笑必至なので電車では読まない方がいいです。


●古典に学ぶ本
・吉田兼好 『徒然草』
・アレクサンドル デュマ 『モンテ・クリスト伯』
・オマル・ハイヤーム 『ルバイヤート』
古典を敬遠するのはもったいないです。別に学者を目指しているわけではないのだから、現代語訳のものを読んで、役立ちそうなものだけピックアップすればいいのです。1000年経っても人間のやっていることは大して変わっていないことがわかり、逆に気が楽になります。


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ブックレビュー一覧

posted by すぱあく at 16:05| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

本が「仕事の悩み」を救ってくれる1

「就職難に悩みを抱えて自殺する若者急増」というニュースがありました。
大人の視点から見れば、「なぜ、そんな程度のことで命を落とすのか」と思うかもしれません。でも、当の本人たちはきっと相当苦しんでいたのかもしれません。

このブログのプロフィールにも書いてありますが、私自身も学生時代は先のことが見えず苦しんでいました。当時は、何も手が付かないほど悩んでいました。

私は、中国史オタクが高じて大学は中国史専攻に進みました。なので、そのまま「中国へ留学して、中国関係の仕事がしたい」と考えていました。
しかし、卒業が近づくにつれ、「もしかしたら、そうした考えは非常に甘いことなのかもしれない」と勝手に思い込んでしまったのです。
というのは誰でもそうだと思いますが、現実というものが重くのしかかってきたのです。
現実・・・つまりは、生活の安定やら、結婚やら、世間体やらです。
今から15年ほど前の中国は、まだ「遅れている国」というイメージでしたので、そうした現実とは正反対の道でした。

そうしたことを考えてしまった結果、世間一般の就職活動を開始してしまいます。そして・・・
 大企業や役所への就職 →安定生活の取得 →成功、勝ち組
 中小零細、ベンチャー企業への就職 →不安定生活 →失敗、負け組

という、いわゆる「一般的な図式」に自分からドンドン縛られていったのです。

そして、もともと大手志向ではないにも関わらず大企業への面接→失敗を繰り返し、就職活動が苦しくなってきました。「あぁ、めんどくさい、もう死んでしまいたい」と思ったこともありました。
私の場合は単なるグチで済みましたが、本当に命を絶ってしまう若者が今は増えているのだと思います。

では、私はどのようにしてこの負のスパイラルから脱したのか。
それは、ある作家のコラムで「悩んだら読書百篇しろ!!」というのを読んだからです。

“解決策は本の中にある”という考え方は、目から鱗が落ちたような気分でした。
というのも結局、自分の親や周りの友人というのは境遇が自分と似ているわけですから、現状を逸脱するような突飛なアドバイスを得ることは難しいわけです。
たとえば、「俺ミュージシャンになる!!」といっても、親がサラリーマンだった場合は的確なアドバイスが得られることはまずないですよね。
「バカなことを言っていないで、現実をよく考えなさい」という“一般的な”アドバイスが返ってくるのが関の山です。

ですが本の中には自分とは違う境遇、時代、生き方、解決方法が載っているわけです。
かといって、本屋によく並んでいる「生き方本」だけを読むのは無意味です。
大事なのは、あらゆるジャンル、国、時代の本を読むことです。そして・・・
・「あぁ、こんな大人物でも若いときは悩んでいたのか」
・「おぅ、こうやって解決したのか」
・「なんだ、俺よりひどいなぁ」

と、共感できる部分を探っていくことなのです。
私は、このようにして手当りしだいに本を読み、「己の道」というものを模索してきました。
結果的に、中国留学を決意し、お金をためるために一旦は中小企業に就職する道を選びます。
その後は迷いはあまりなくなり、ガムシャラに働いてお金を貯めて、3年後には希望通り中国留学を実現することができました。

さて、仕事のことで悩んでいるあなた。
大切な命を絶つ前に、「読書百篇」いかがでしょうか?


「あまり本なんて読まねぇよ」という人も大丈夫。
読書感想文やレポートを書くことが目的ではありません。
一字一句読む必要なんてないんです。
目を通していけば、見逃せないフレーズが出てくることがあります。そこにだけ注目すればいいのです。これは多読のコツです。

「そんなたくさん本を買うお金がねぇよ」という人も大丈夫。
2000年以上前にアレクサンドリア図書館が生まれてから今に至るまで、「図書館」というものがあるのです。そこで借りてください。

「地方在住だから本屋がねぇよ」
という人も大丈夫。
そもそも図書館なら必ずあるでしょう。
また、Amazonがあるじゃないですか。送料無料ですよ。

では、次回、私自身が「仕事の悩み」から救われた本をご紹介します。

posted by すぱあく at 16:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月07日

「とにかく本が好き」という因果な業を持った出版業界で働く人々

先日、漫画家の土田世紀氏が若くしてお亡くなりになりました。
編集王 1 (BIG SPIRITS COMICS) [コミック] / 土田 世紀 (著); 小学館 (刊)4月24日、土田世紀が肝硬変のため自宅で逝去した。43歳だった。

土田は1986年、投稿作『残暑』でコミックオープン・ちばてつや賞一般部門に入選。これが『未成年』と題したシリーズ連載の第1話となり、デビュー作となった。1991年に週刊ビッグコミックスピリッツ(小学館)で連載開始した、津軽の高校生が上京して演歌歌手を目指す『俺節』でブレイク。続いて1994年にはマンガ編集者に転身した元ボクサーの成長を描く『編集王』でヒットを飛ばした。

またヤングサンデー(小学館)にて連載された『同じ月を見ている』は、第3回文化庁メディア芸術祭優秀賞を1999年に受賞。同作は2005年に窪塚洋介主演で映画化もされた。その他の代表作に『俺のマイボール』 『ギラギラ』 『ありゃ馬こりゃ馬』 『夜回り先生』など。(2012年4月27日 コミックナタリー)

私も出版社に勤めていた頃、代表作の『編集王』は大泣きしながら読みました。なにしろ、この作品は編集者の視点から出版業界を描いた作品です。現場でもがいている人が読んだら、そりゃ大泣きしますって。

漫画家の視点で出版業界を描いた作品は『まんが道』 『吼えろペン』 『バクマン。』など割と多くあります。フリーライターが主人公の『みのり伝説』というのもありました。
しかし、編集者の視点から出版業界を描いた作品は少ないです。『編集王』以外で思いつくのは、『働きマン』ぐらいかな。

出版業界は、大手が1割で残り9割は中小・零細企業です。労働実態は、世間のイメージ通り、
超長時間労働&超薄給です。加えて、出版不況のあおりを受けて倒産する企業が続出しており、
本が放つキラキラした輝きとは対照的に裏方の編集者はボロ雑巾のような状態です。

にも関わらず、この業界で働いている人、これから目指す人がいます。私もかつてはその一人でした。
その頃、まわりの友人や家族からは幾度も
 なんで、そうまでして働いているの?
 何がおもしろいの?

とよく言われたものです。

こればかりは分からない人に1000回言っても分かってもらえないでしょう。
しかし、その理由をあえて説明するのであれば、『編集王』第5巻で登場人物たちが語っています。
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私にとって、本とは・・・・・・  精神を高めてくれるモノなんです。

太宰治が孤独を教えてくれ、宮沢賢治が宇宙を教えてくれ、三島由紀夫が理想を教えてくれ・・・

正座して読むものでしたよ、本は・・・・・・・!!


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俺だって本が好きだ!

好きで好きでしょうがなくて、この業界にやってきたんだ!


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俺はそうゆう“プライド”を、書店に営業して回りてえよ!

誇りで仕事が出来るんなら、給料なんかいらねえんだよ こちとら!



以上にすべての答えが詰まっていると思います。
答えは非常にシンプルで、出版業界で働いている人はジャンルや職種は違えど本が好きなんです。
さらに細かく言うと、書くことが好き・調べるのが好き・知識を増やすのが好きな知的好奇心が旺盛な人たちです。


一般論では仕事を選ぶとき、「好きなものは仕事として選ばない方がいい」とされていますが、
彼らはそれができない因果な業を持った人たちといえます。
彼らにとって、お金や出世や世間体などは優先順位が低く、だからこそ徹夜を続けることも、給料が安くても働けるといえます。

しかし、「それでいい」と思っている人はいません。誰だって休みやお金がほしいに決まっています。
それでも、彼らは数々の矛盾の中で苦しみ、もがいています。出版不況の影響でその傾向はますます強くなっています。

たとえば、「予算も人員もない。締め切りはすぐ目の前。だが、いいものを早く作れ、そして売れ!!」
といった無理難題が現場に降ってくることは日常茶飯事です。
仕方がなく、現有スタッフが徹夜を続けてなんとか完成させている、そんな出版社がほとんどではないでしょうか。
皆さんが読んでいる本やコミックは、そうした裏方たちの奮闘によって生まれているといえます。


まるで現代版・蟹工船ですが、出版業界には就職しない方が無難なのでしょうか?

それは、生活を安定させようとしたら、間違いなく就職しない方がいいです。
また、「休日は彼女とデートだぜぇ、夏は海だぜぇ、冬はスキーだぜぇ」という人もやめておいた方がいいです。

しかし、人生修行の場と考えるならば、ここほど最適な業界はありません。
事実、今の私はここでの経験によって成り立っています。
私は取材を通して、日本と中国の政治家、経営者、芸能人、学者たちにたくさんお会いする機会に恵まれ、おかげで見識がかなり広がりました。こうした方々とお会いできるのは、出版業界の魅力のひとつです。

また、徹夜と無理難題をこなすうちに、どんどんタフネスになっていきます。私の仲間のほとんどは、今では独立か転職していますが、みんな「あの頃より悪くなることはもうない。今後何が起こっても生きていく自信がある」と口々に述べています。
日本人の多くが将来に不安を感じている昨今において、このタフネスは貴重だと思います。

出版業界で働くと残念ながら若い頃はあまり報われないと思います。ですが、研鑽を続けていれば、いずれは
フィリップ・マーロウのようなオヤジになれると思います。
「タフでなければ生きて行けない。優しくなれなければ生きている資格がない」
そんなセリフが似合う漢になりたい方は、出版業界のドアを叩いてみてはいかがでしょうか。

posted by すぱあく at 14:07| Comment(3) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月28日

色恋を芸に昇華させる坂田藤十郎の生き様

ebizo.jpg隠し子報道があった市川海老蔵さん、市川染五郎さん、片岡愛之助さん。
派手な女性関係でワイドショーの常連の市川海老蔵さん、中村獅童さん。
「灰皿テキーラ」の市川海老蔵さん。
以上、とかく遊び好きなイメージの強い歌舞伎役者たち



しかし、彼らでさえもこの方を前にしたら、それこそ「役者が違う」といえます。

tojyuro.jpgそれが、坂田藤十郎
231年ぶりに「藤十郎」を襲名した現代歌舞伎の大看板、人間国宝の御年80歳。

言っておきますが写真は最近のものです。
顔の色と艶を見てください。
これが80歳の顔ですか?
私は雑誌編集者のときに、藤十郎さんの記者会見に出席して間近で見たことがあります。ピンと伸びた背筋と肌の色艶を見て、本当に驚きました。

総じて歌舞伎役者は若々しい人が多いです。
しかし、彼に関して言えば、今もガチで若い女性と遊んでいるからだと思います。

この坂田藤十郎さん。若い頃から無類の女好きで、彼も週刊誌の常連でした。
彼は上方がホームですから、遊びといえば京都の芸妓でした。馴染みの芸妓が彼の舞台を見に来たときは、その芸妓が用いていた女紋をデザインした扇を舞台で使ったといいますから、まるでおとぎ話のように粋な話です。

chikage.jpgそんな遊び好きの彼でしたが、ある女優さんを妊娠させてしまいます。それが、当時宝塚スターだった扇千景さんでした。二人は1958年に結婚します。
新婚旅行のとき藤十郎さんは酔った勢いで、自身の女性遍歴を悪びれることなく全て打ち明け、その相手への対応方法なども堂々と新妻に語ったと言われています。
結婚後も若い愛人が常にいました。世間一般の私たちでも愛人のことを知っているわけですから、もう「浮気を妻に隠す」とかいう発想は持っていなかったのではないでしょうか。

2002年、70歳のときには京都のある舞妓とホテルで密会し、バスローブをはだけて自身の陰部を露出させたことが『FRIDAY』にスクープされました。
世に言う「開チン事件」です。

chikage2.jpg70歳でも絶倫であることに驚かされましたが、さらに驚いたのは妻の扇千景さんが
「彼は常に女の人がいないとダメですから。女性にモテない夫なんてつまらない」とコメントしたことでした。仏のような器ですが、これはこの夫婦が別格だと思います。
中村獅童さんの女癖の悪さから竹内結子さんは離婚しましたが、あれが普通でしょう。

そもそもこの扇千景さん。1977年から政界入りしますが、建設大臣、運輸大臣、国土交通大臣を歴任し、2004年には参議院議長に就任します。参議院議長って「三権の長」ですよ。そこまで昇り詰めることができる政治家の方が遥かに少ないんですよ。夫婦そろって神懸っていませんか。ちなみに、若い頃の美貌も神懸っています


さて愛人・浮気・不倫といったことは、世間一般のルールでは非難の対象ですが、彼らは芸人としての生き様や考え方があって、女遊びをしている可能性があります。

ohatu.jpgというのは、坂田藤十郎さんの当たり役といえば、近松門左衛門『曽根崎心中』のお初です。
『曽根崎心中』は日本史の教科書にも出てくる超有名な作品ですが、江戸期以降は長らく上演されてきませんでした。
それを歌舞伎狂言作者の宇野信夫が脚本を書き、1953年に250年ぶりに復活上演したのです。そのときお初を演じたのが、当時21歳の中村扇雀つまり今の坂田藤十郎さんでした。
見目麗しいお初は大ブレイクし、日本中で「扇雀ブーム」が起こりました。
それ以降、現在に至るまで1300回以上もお初を演じ続けています。



藤十郎さんは言っています。「お初は10代の娘という役。お客さんからそう見えないと言われたら辞めなくてはいけない」と。
   いつまでも舞台に立っていたい。
   舞台の上で死にたい。というのは芸人の悲願といえます。
   だから、いつまでも若くいたい。
   それで、女性と遊ぶことで枯れないように努めているのかもしれません。

それにしても、同じ女好きなのに、世間から白い目で見られている市川海老蔵さんに対して、
「いつまでもお盛んですなぁ」とネタとして語られる坂田藤十郎さんでは、役者というより人間の器に差があるような気がします。
ただ、これは努力で身につくものではないですから、やはり藤十郎さんが歌舞伎の神様に愛されているのではないでしょうか。

タグ:歌舞伎
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2012年04月14日

澤瀉屋 革新を求めるDNA

omodaka.jpg澤瀉屋(おもだかや)・・・「おもだか」って聞きなれない言葉ですよね。

「オモダカ」というのは薬用などに用いられてきた植物のことです。初代市川猿之助の生家がこの澤瀉を扱う薬屋だったため、歌舞伎の屋号を「澤瀉屋」にしたのです。

さて、初代市川猿之助は、明治・大正期に活躍した歌舞伎役者です。
ennosuke_1st.jpg「成田屋」のように江戸期から活躍している一門と比べると、「澤瀉屋」は“新参者”なわけです。
しかも、初代市川猿之助は門閥の出身ではなく、門弟から身を起こした人物です。そのため、若い頃は凄まじい苦労をしましたが、その末に最終的には歌舞伎界の中核にまで上り詰めます。

澤瀉屋は“新参者”であるがゆえに、反骨精神と革新を求める気概に富み、
各時代で閉鎖的な歌舞伎界に新風を巻き起こしてきました。
同時に、子弟の教育にも力を入れてきました。教育には金を惜しみなく使っていたためときには厳しい財政だったといいますが、これも“新参者”という逆境から来る強さだと思います。

●初代 市川猿之助の革新
明治後期から昭和始め、近代社会にふさわしい歌舞伎を志す文学者が新たな作品を書くようになりました。
それが新歌舞伎と呼ばれるものです。代表的な作家が坪内逍遥でした。初代市川猿之助はこの新歌舞伎に挑戦しました。
また、当時の最新の演劇であった「新派」にも客演しました。


●二代目 市川猿之助の革新
ennosuke_2nd.jpg初代 市川猿之助の長男が二代目 市川猿之助です。欧米に留学して最新の舞台芸術を学び、このとき見たロシア舞踊を歌舞伎に取り入れるなど革新的な取り組みをしました。
新作や翻訳物に取り組む一方で、埋もれていた古典を復活させたり映画に主演するなど、かなり精力的に活動しました。
また、戦後にはソ連・中国公演を実現するなど、行動力もかなりグローバルでした。


●三代目 市川猿之助の革新
二代目 市川猿之助の孫が、三代目 市川猿之助。つまり、当代の市川猿之助さんです。24歳で猿之助を襲名しましたが、直後に父と祖父を亡くすという不運に見舞われます。
しかし、彼も先代に劣らず、超革新的な人でした。
そのひとつが、役者の体をワイヤーなどで吊り上げ、空中を飛行しているように見せる宙乗りです。
宙乗りの歴史は意外に古く、18世紀初頭に初代市川團十郎がはじめたといわれていますが、久しく廃れていました。
それを猿之助さんが復活させたわけです。
観客はド肝を抜かれ拍手喝采でしたが、当時の保守的な歌舞伎界からは異端児扱いされます。しかし、それこそ澤瀉屋の面目躍如とばかり、舞うことなんと5000回をはるかに超えギネスブックにも登録されました。

super_kabuki.jpgそして、なんといっても極め付けはスーパー歌舞伎です。これは今までにない
現代風歌舞伎で、得意の空中パフォーマンスあり、歌あり、踊りありの新境地です。
1986年、哲学者梅原猛が脚本を手掛けた「ヤマトタケル」を皮切りに現在も続いています。

さて、1965年に猿之助さんは女優の浜木綿子さんと結婚しますが、わずか3年で離婚します。そのとき生まれたのが香川照之さんですが、香川さんは浜木綿子さんに育てられたため、猿之助さんや歌舞伎界とはまったく無縁に育ちました。


●市川亀治郎の革新
takeda_shingen.jpg猿之助さんの実の息子である香川照之さんが歌舞伎と無縁だった一方で、澤瀉屋のホープとして活躍目覚ましかったのが、市川亀治郎さんでした。彼は猿之助さんの甥にあたり、つまり香川照之さんとは従兄弟の間柄です。
大河ドラマ『風林火山』の武田信玄役で一気に全国区になりました。彼は劇中で、武田家の家督を継ぐ前は普通の話し方をしていましたが、家督を継いでからは歌舞伎役者らしい重厚な台詞まわしをし、結果的に人々が抱いている雄雄しい武田信玄像を演じきりました。この役柄のため男くさいイメージがありますが、歌舞伎では当代きっての女形として注目されてきました。
要するに何でもできる人なんです。それを可能にしているのが、凄まじいほどの勉強量で自宅には書店が開けるくらい蔵書が置いてあるといわれています。


●今後の澤瀉屋
omodakaya.jpg

旺盛な活動をしていた市川猿之助さんでしたが、03年に病に倒れて以降は舞台から遠ざかります。
そんななか、2012年6月より市川亀次郎さんが四代目 市川猿之助を襲名することが発表されました。
当代の猿之助さんは市川猿翁を襲名します。
同時に、長く歌舞伎界と無縁だった香川照之さんも市川中車(ちゅうしゃ)という名跡を名乗り歌舞伎界入りすることになりました。香川照之さんの演技に対する姿勢が凄いことはよく知られていますが、今後は澤瀉屋の歴史のひとつとして語り継がれていくかもしれません。

ちなみに、上記3人の学歴を見てみますと、市川猿之助さんと市川亀次郎さんが慶應義塾大学文学部国文学専攻卒で、香川照之さんが東京大学文学部卒です。
学歴の高さは梨園随一ですが、これも澤瀉屋が師弟の教育に力を入れるという伝統を持っているからかもしれません。

タグ:歌舞伎
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2012年04月08日

屋号別 人気歌舞伎役者一覧

歌舞伎役者の屋号は全部で100以上あります。
では、テレビや映画で活躍している歌舞伎役者の屋号はどんなものなのでしょうか。屋号別に見ていきます。

成田屋(なりたや)
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成田屋こそ、歌舞伎の屋号のはじまりとされています。由来は成田山(千葉県)からです。
上記二人は親子。市川海老蔵さんはワイドショーの常連ですが、実は成田屋(市川宗家)は江戸歌舞伎のなかで最高位といえる格式なんですよ。
★外部リンク
成田屋公式サイト


高麗屋(こうらいや)
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初代松本幸四郎が若い頃に丁稚奉公していた、江戸神田の「高麗屋」という商店が由来です。
上記二人は親子。当代の松本幸四郎さんと市川團十郎さんは従兄弟にあたります。松本幸四郎さんの映画やドラマでの活躍はご存じの通りですが、ニューヨーク・ブロードウェイで『ラ・マンチャの男』の主役を、ロンドン・ウエストエンドで『王様と私』の主役をそれぞれ英語でこなすほどの力量の持ち主です。


播磨屋(はりまや)
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初代中村歌六が養子に出された播磨屋が由来。
『鬼平犯科帳』でお馴染みの中村吉右衛門さん。その兄が松本幸四郎さんです。


中村屋(なかむらや)
nakamuraya.jpg

江戸三座のなかで最も古い中村座の座号が由来。中村座を開場した猿若勘三郎は、後に中村勘三郎と改めたため、珍しく屋号と名跡の苗字が同じになっています。
上記3人は親子。当代の中村勘三郎さんの何にでも挑戦する姿勢はすごいものがあります。


澤瀉屋(おもだかや)
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澤瀉屋は家庭の事情が複雑なこともあり、書くことも多いので次回の別記事にします。


萬屋(よろずや)
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芝居茶屋「萬屋」に由来。1971年、往年の大スター中村錦之助ら小川家一門が播磨屋から独立してできた屋号です。つまり、本当に最近できた屋号です。中村錦之助はこれを機に萬屋錦之介を名乗ります。
歌舞伎よりも映画に重きを置いたために、歌舞伎界ではかなり苦労をしました。その苦労の末に世に出たのが、萬屋錦之介の甥である中村獅童さんです。


成駒屋(なりこまや)
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将棋の「成駒」と親交が深かった「成田屋」(市川宗家)をかけたのが由来。
中村福助さんの弟が橋之助さん。橋之助さんは大河ドラマ『毛利元就』(97年)で主演しました。中村梅雀さんは『毛利元就』も含めて、10度も大河ドラマに出演しています。刑事ドラマにも出演しているため、「えっ?! この人歌舞伎役者だったの?」と思う人も多いのでは。


大和屋(やまとや)
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初代坂東三津五郎が養子に入った大和屋が由来。
坂東三津五郎さんは日本舞踊「坂東流」の家元でもあり、江戸三座のひとつ「守田座」座元の家系でもあります。
当代随一の女形である坂東玉三郎さんについては以前にも書きましたので、そちらをご覧ください。


山城屋(やましろや)
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2005年、231年ぶりに坂田藤十郎を襲名したことで復活した屋号。
現代歌舞伎の大看板で人間国宝。そして上方歌舞伎・復興プロジェクトの重要人物。妻は扇千景さん(元宝塚、元参議院議長)、妹は中村玉緒さん。この方も書くことがいっぱいあるので、別記事にします。


松嶋屋(まつしまや)
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屋号の由来は不詳。片岡仁左衛門さんは長く片岡孝夫という本名で活動されていました。昔から2枚目で人気が高く、大河ドラマ『太平記』で演じた後醍醐天皇はハマリ役でした。
片岡愛之助さんも二枚目で人気の歌舞伎役者です。大阪出身で今も大阪在住の“上方歌舞伎のホープ”です。彼らは坂田藤十郎さんとともに上方歌舞伎の復興に力を入れています。


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タグ:歌舞伎
posted by すぱあく at 10:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月01日

歌舞伎役者の屋号について

roh.jpg『ONE PIECE』にトラファルガー・ローという登場人物がいます。
彼は相手に「○○屋」と付ける特徴があり、ルフィを「麦わら屋」、キッドを「ユースタス屋」と呼んでいます。

彼がどうしてこのような呼び方をしているのかは、劇中で特別な説明がないのでわかりませんが、もしかしたら「歌舞伎ファン」なのかもしれません(笑)。

歌舞伎役者には皆、屋号があります。
たとえば、市川海老蔵は「成田屋」。松本幸四郎は「高麗屋」です。

歌舞伎座などで観劇するとわかりますが、客席の大向うから舞台上の役者に「ナリタヤッ!」「コウライヤッ!」といった掛け声がかかります。
歌舞伎では役者の名前を呼ばず、屋号で掛け声をかけることがルールになっているのです。

さて、歌舞伎の屋号の成り立ちについて触れます。
Okuni.jpg歌舞伎が出雲阿国によって広がりはじめたのは、江戸時代がちょうどはじまったあたり。つまり、17世紀初頭です。

それから、歌舞伎は庶民の娯楽として欠かせないものになっていきましたが、歌舞伎役者たちの身分は、「河原者」と呼ばれて非人扱い、つまり最下層にいました。住居も裏路地や横丁にあり、舞台の外ではひっそりと住んでいました。

しかし、庶民からの人気が上昇するにつれ、身分は最下層でも金に困らないほど力をつける役者も登場します。
そして、1708(宝永5)年、歌舞伎役者は町奉行所から「良民」と認められるようになりました。

それから、商家を倣って小さな店を出し、生活を安定させる役者も増えてきました。この頃から、役者仲間では、お互いの店の「屋号」を呼び合うようになり、それが今日まで続いていると考えられています。

では次回、テレビや映画で活躍している歌舞伎役者たちを「屋号」の面から見ていきたいと思います。


★外部リンク
歌舞伎の屋号を題材にした伝説的なネタ「中村屋」(グループ魂)


posted by すぱあく at 17:59| Comment(4) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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